『気になる部分』 岸本 佐知子 著 読んだ。
ある人が最近、日記で紹介していた本。その人の本選びのセンスを自分、信用しているかな?でも、全部が全部とは行かないのね。ようちゃん2号がまったく追いつかんくらい本を読んでいる人だからね。その人の書評を読んで、なんかピーンと感じたときに、図書館にネットで予約しておく。その人は日本の作家の小説もよく読むけれど、自分、なぜかあんま好んでは読まない。だから、変に追いつこうとも思わないで済んでいる、って部分もあるかな?今回の日記には【女性には珍しいコミカル妄想型エッセイ。しかし、本職は翻訳家なので言葉選びのセンスが抜群によくて読みやすい。】って書いてあって、「こりゃー読むべし」って思ったのね。図書館に予約したらすぐに借りられた…。えーと、ちょっと飛ぶようだけれど『ねにもつタイプ』っていう著者の最近出た本がある。これ、出た当初なのかな?図書館で予約していてずーっと今まで来なかったんだけれど、とにかく前に予約していて、てっきりその「ある人」が紹介してくれていたので予約を入れたものだと思っていたの。でも、どうも違うみたい。その人も初めて岸本佐知子を読んだみたいだからね。予約してすぐに来ないと、なにがきっかけで予約したのかさっぱり思い出せなかったりするわけよ…ようちゃん2号ってね。んで、だからこそなのかもしれんけど、今まで読んだことのなかった著者の本が手元に今まさに2冊ある、ってことになる。…ちょっと不思議な感じ…。んで、でもそういうのあんま深く考えてもしょうがないから放っておいて、ようちゃん2号的には、ありがたく古い順に読むってことになる。ふー、長い前振りだった…。以下↓引用。------------------------------------------- 子供の頃、私は子どもが嫌いだった。子供は利己的で残忍で好色で守銭奴で人種差別者の性差別者の自然破壊者で権力志向で日和見主義で、極左なのに保守反動、無知蒙昧かつ見栄っ張り、しかも異常に背が低い。そんな私にとって、幼稚園が修羅場であったことは言うまでもない。何しろ周りが全部子供であるうえに、自分もまた子供なのだから。-------------------------------------------以上↑引用。文章が楽しく読める人って、けっこう自分自身の小さい頃のことをよく覚えている、ってことがあるのではないかと思う。なんか「記憶が鮮明」っていう感じがするのね。それがどうして文章を面白くするか?っていうと、もしかしたら、今の自分とのギャップをしっかり感じられるってことから発生するのかもしれない。だから、ただ面白いってことだけで終わらない部分があると思う。以下↓引用。-------------------------------------------男子のいじめ方は、まだしも直裁的でわかりやすかったが、女子の手法はもっとずっと複雑で洗練されていた。ある日の゛お絵かき″の時間、私の隣に座っていたサユリちゃん(仮名)が、小さな声で「あたしと同じ絵を書くのよ、いいわね」と強要した。私は怖ろしくて言うとおりにした。絵が集められる。先生の講評の時間。先生の手が止まる。先生は二枚の絵を高く掲げて「みなさあん、ちょっとこれはどういうことでしょう?」言う。するとサユリちゃんがわあっと大声で泣き出し、「サチコちゃんが真似したあ!」と訴える。こんな時にかぎって、私はうまく泣けない。-------------------------------------------以上↑引用。これが洗練されているのかどうかわからんが、いじめってすごく複雑な構造を持っているような気がする。なぜいじめるのか、いじめている本人でさえわかっていないってことが多いんじゃないかな?ところがどうも、「いじめはダメ」って声高に言う人ほど、自分がどんないじめをしていたか、あるいはどんないじめをされていたかっての、まったく自分の記憶の中から取り出してみもしない人がいると思う。もしかして、取り出せもしない人が、「いじめはダメ」って大声で言うのかな?とも思う。そんで、こういう人の言う「いじめはダメ」ってのが、いちばんつまらなくて、そしてなにも生まないかもしれない。…なんか、まとまらない…。