カテゴリ:娘との会話・たとえば
食べ物を粗末にしないで。
って、小さいころ母や祖母、学校の先生達から散々言われた。 娘のお皿の上が無残な感じになり、食べるでもなくつついていたり できれば食べないで残したいと思っていると切なくなる。 毎度のことながら、家の中、風呂の中、外を歩いているときに 彼女に色々話をするなかで、「食べ物」について話をしようと思った。 私が子供のころは、大人たちは「物が食べられなかった時代」や 「物が食べられない子も世の中にいる」食べられる人がこうも粗末に扱うのは 如何であろうか?という論旨だったように思う。 食べられない子がいるから、しっかり食べる、、、ってのも 結構変ななしなのだ。 今食べられても、食べられない時期が来たらそのときに 今食いだめしたものが使えるわけでもない。 いろんな思いで「粗末にしてはだめ」と言っていたのは確かだと思うので 私もどうして、食べ物を粗末に扱ってほしくないかについて話してみた。 ****************************************** 萌ちゃんのごはんには、野菜とかお肉が使われている。 その人参や大根、キャベツやもやしも、大切な命なんだよ。 想像してみよう。 植物ではちょっと想像しにくいかな。 鶏肉や豚肉・牛肉。牛肉は、牛だよね。 牛も萌ちゃんと同じ生きているよね。 牛には気持ちがないかな。痛いとか、ないかな。 たとえば、私と貴方がどこかに閉じ込められたとする。 そうだね、私達以外にも数人の人が一緒に閉じ込められている。 食べ物はまったくなかったら、おなかがすいて、皆死んじゃうかもしれない。 そこで私が、何日か皆が生き延びるために、「食べ物になる」と決めたとする。 私を食べたら、萌ちゃんも少し長く生きられるね。 生きるためにしょうがないねって、そこで、めでたく私は「お肉」になったとする。 私がお肉になったから、皆に、「たべちゃだめ==!!」って言うかもしれないね。 でも、全員が死なないために、すでに食料として、お肉になったんだから 食べないで腐らせて捨てたら、私は死んでもなんにもならない。 みんなの生きられる時間も変わらない。 ただ死んじゃっただけ。 それなら、食べなきゃいけないよね。 私がかわいそうなら、なおさら食べてね。 いざ食べてたら、他の子が食べられないだけ器に入れておいて、 「これ、おいしくない~」とかいって ぐちゃぐちゃにして、残して、捨てようとしていたらどう思う? 嫌じゃない? それと同じで、食べ物も(物も)大事にしてほしい。 お皿にのったものは全て食べないといけないんじゃないの。 大事に食べて、そして無理して食べない。 これだけでおなかいっぱいなら、それを言ってくれれば きれいな形で取っておけば、またおなかがすいたら食べられるようにもできる。 少ない量でおなかがいっぱいになるなら、次からは少し少なめにできて それはそれで悪いことじゃない。 あ、お肉に関しては、もちろん「お肉になる前」、殺される前に 「ころしちゃだめ=!」っていって、他のものを食べる方法を 考えてほしいんだけどね。 ****************************************** それは、お肉の話だけでなくて、お野菜も全てのものにいえること。 どれも全て「命」を頂いている。 飼っている名前のある金魚を食べる気にならなくなる。 感情や痛みのある生き物を、名前を剥奪して「牛」であったかわいさなどが 伝わらないようにして、殺される悲鳴を聞こえないようにして 解体して加工してスーパーに並ぶ。 お家で飼っている「チャリーちゃん(牛)」(いや、飼ってないよw例えばねw) を今日食べるよってなったときとはその命の重みが、なんとなく変わってくる。 お野菜はどうなのかな。それだって、命には変わりない。 種を食べる、食べてもらって移動して生きる植物もある。 食べられることと営みが繋がっているように思う。 できるだけお野菜を食べよう。 お野菜の話も・・もちろんしたんだけど、今回はなしでw 私がお肉になる話は、結構衝撃的だった様子で どうしたら私が「お肉」にならないで済むかを考えていたようでした。 なので、私達はいまは閉じ込められていないということと 「切ない吉雄お肉」を“極力”食べなくて済む方法はあるという話もしました。 食事・物などを大切にすることを伝える 自分なりの説明、なんとなくグロかったけど、伝わりましたかね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[娘との会話・たとえば] カテゴリの最新記事
|
|