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カテゴリ:葦澤美也子(Sereno)
葦澤です。
ぱたぱたと忙しかった小学校PTAの年度始めのもろもろも 土曜日の定期総会、歓送迎会無事終了をもってやっと終わり。 3月くらいから続いていた自宅作業の仕事も一段落し、 恭子ちゃんがまとめてくれた奥山さん取材時の記録を こんな夜中に羨ましく読んでいたりしました。 この記事は6月21日に公式ページにアップされる予定です。 (乞うご期待☆) その翌日にはタウンミーティング。 (今月の、大日向先生からのステキなメッセージは もうお読みいただけましたか?) こちらもまだまだ受付中です。 奮ってご参加くださいね☆ * * * 話は戻りますが。 びーのびーののある横浜市は、 私の育ったところです。 横浜市といっても広いので、 奥山さんたちが活動されているところと 私が住んでいたところはだいぶ離れているのだけど。 ……15年前には、 子育てへの支援が何も無いに等しかった という点では、市内どこも同じような状況だっただろうと思います。 私が出産後に実家の近くに住まなかった大きな理由は 「横浜では、フルタイムで働いている人以外が公立や認可の保育園に子どもを入れるのはほぼ間違いなく不可能」 「東京に比べて医療費補助や児童手当の導入が遅い」 「児童館など乳幼児連れで気軽に行ける施設が少ない」 など、子育て行政の遅れでした。 義姉や母は口を揃えて 「東京はいいわよねぇ」と言い。 ウチの娘たちが途中から保育園に入ったときには 高校時代の友人に「認可?無認可?」と訊かれ。 「…公立」と答えたら 「ありえない!!だって、働いてなかったんでしょ!」と 目を丸くされたっけ。 …いやぁ。私は横浜では子育てできないな~、なんて。 めちゃめちゃ傍観者だった自分。 奥山さんたちの活動を、 新聞かなにかで初めて知ったときには目からウロコでした。 無いなら、つくる。 改善する。 与えられたもののなかから選ぶんじゃなくて、 こんな方法があったんだ、と。 * * * 「保育」がもっと充実してくれていたら。 私はあの街に住み続けられたのに。 って、思っていましたが。 今になって思えば、 自分が好きで過ごした街を裏切ってしまったような ちょっと苦い想いも抱えていたり。 たくさんの人たちがつけてくれた道筋が 大きな流れになろうとしてるのが、 誰の目にも見えるようになってきたからこそ。 さて。私は、何をしようかな?って。 今までよりも、もっとたくさんの一人一人が 考えられる時期に来ているような気がしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 26, 2008 04:07:08 AM
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