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カテゴリ:読書
もの食う人びと 辺見庸 角川文庫
アラスジ:饐えた飯と歯型がついた肉、炭鉱から這い上がって啜る熱い一杯のスープ、放射能の森に生えるキノコ…筆者が飽食の日本を飛び出し、自らの舌で確かめた世界の現実。 久々のブログ。 書き方を忘れてしまったw (ってか、入力方法もかなり変わってしまっていて、戸惑っている) 何と言うか…この処、なんだか無感動に日々が過ぎ行く。 読んだり見たり、何か行動する気分になれない。 まずい、これが五月病ってヤツなのか? 食欲だけは、限りなく旺盛だったりするのだが。ヤレヤレ 大丈夫、これだけ食える病人はいない。 という訳で、多少の自戒も込めて、この本を読んでみた。 まともに読書すらしていなかった身には、いささか荷が重い。 リハビリ読書に、おもいっきり骨折。 普段から、軽めの本ばかり読んできた報いか。 個人的に、人間の生き死にについて思うところがあったりしたので、余計にずしんときた。 食べる事は生きる事。 悦びにもなり、苦しみにもなり。 人の背負う業は数あれど、死ぬまで切っても切れぬ業は“食欲”だろう。 制限を設ける事は出来るが、この欲を消し去る事は出来ない。 放擲すれば、死に向かうのみ。 私が、どんな状況においても食欲を失わないのは、業が深い故か。 なんて悠長な業なんだろう。 本書の多くの人びとは、もっとリアルに“食べる”事と格闘している。 残飯を漁っても、放射能に汚染された食品でも、今、目の前にあるものを摂取するしかない生活。 毎日「今晩のオカズは何にしようか」と悩み、冷蔵庫で余った食品を腐り果てさせている日本人には、遠い世界の“生きる事”。 筆者の辺見は、その遠い世界に舌を差し出して飛び込む。 だが、この本の凄みは、だからと言って辺見が飽食日本の舌=意識を捨てていないところにあると思った。 食べられないものは吐き出し、不潔さには眉をひそめる。 偽善的に、“ボクは、こんなに同化しています。だからほら、彼らの事、理解してるんです。”とやらない。 清潔で過剰な日本に生きる人間が、難民キャンプの埃まみれのパンを本質的に理解出来るはずもないのだから。 現代日本人の意識を丸出しに、それでも、現地の食に挑む筆者は、だからこそ潔い。 日本人のエゴと言うフィルターが掛かっている故に、逆に、現実がストレートに見えてくる気がした。 理想論を唱える前に、まず実際が見えてくるルポ。 さて、そんな現実を読んで、私は何を思えば良いのだろうか? 無感動で億劫な日々を送っていると言いつつ、満ち溢れる食べ物に囲まれている私は。 死ぬまで、“食”とは縁が切れない。 業は続く。 ならば、せめて輪郭のしっかりした業を生きよう。 …こんな時間なのに、我が家の最強生物様が、お食事を所望なさっている。 この所、ご機嫌麗しくいらっしゃらない最強様は、何を献上してもおむずかりになられて困る。 女王様、ご存知ですか? 貴方様が砂を掛けて嫌う缶詰は、それを作っている女の子の1食事代より遥かに高いのですよ。 あぁ、ご存知あるまいて。 貴方様は、国産のお食事しかお召し上がりになりませんものね… 業の深いお方ですこと。 はいはい、今、何か差し上げましょうね。イテテテ、噛み付かないで下さいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月22日 02時51分30秒
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