喘息落ち着きました。
二男にゃあにゃんの (本当の名前以外に ”にゃん” とかこういう風に呼んだりする時があるので)喘息の発作から 21日ぶりです。喘息の状態も落ち着いてきてほっと一安心です。にゃあにゃんは 1歳の時には 喘息様気管支炎といわれていたのですが1歳半の発作の時には !”喘息です!!”とはっきり言われました。1歳の時からもう何度 入院してきたか数え切れません。1ヶ月に2回入院 1回が10日ほどなので 1ヶ月の大半は入院していたでしょうか。。。それが 何年も続きました。最近は 入院しなくはなったのですが やっぱり風邪を引いたり 気候の変わり目には調子が悪くなってくるので まだまだ安心は出来ません。鼻水が出てくるたびにひやひやしています。にゃあにゃんの毎日の薬は 発作が起きないようにする予防の吸入薬1種類を 朝晩1回。気管支を広げる吸入を 1種類晩だけ。計2種類毎日吸入しています。 風邪を引いたり調子が悪くなると 朝晩と発作のおさまらないときなどに もう1種類吸入器に薬を入れて吸入します。本当に大忙しになってきます。吸入薬だけで 3種類にもなってしまいます。飲み薬は 発作のひどい時には 5種類。鼻炎の薬を入れると 多い時には7種類ぐらい服用しています。もっとひどくなると 点滴をして帰ることもありますが息が苦しそうなのを見ていると本当に辛くなります。また二男の事もフリーページに書いていくつもりなんですが 生後1ヶ月の時に問題があって こども病院に半年ほど 見てもらっていました。友達と 鬼ごっこをしても走ると喘息の発作が起きてしまう にゃあにゃんで見ていていつもかわいそうで いつもおんぶして幼稚園から帰ることもたびたびでした。それもいまは 走っても平気になりました。日記の更新も 今はにゃあにゃんのことだけ考えていようと PCを開きませんでした。毎日 喘息日記をつけているので それを持って病院に行っていました。にゃあにゃんの行っている病院は この近辺では大きなE病院です。にゃあにゃんが行っている事もあって 優斗を授かった時もこのE病院を選びました。そして お産もこのE病院でした。優斗を亡くした時 優斗は小児科転科していたので にゃあにゃんが診てもらっているT先生とは違うけれど 小児科のY先生でした。私は優斗が亡くなったあと このE病院にいけませんでした。そのため にゃあにゃんの診察日 夫が病院に連れて行ってくれました。そして 待合室で看護師さんが。。。「今日は お母さんは。。もう出産されたの?」夫は 「 この病院でうまれて 2日で亡くなりました。。。」と言うと 看護師さんは「 ○○くんの 弟さんだったの。。!!!」と その後言葉が出てこなかったそうです。そして 診察室に入ると T先生が 夫に深々と頭を下げたそうです。私たちが頭を下げて欲しいのは Y先生。。。。形式的なことじゃなく心の底から優斗の死を悼んでほしい。。。。。そして 病院を 転院するための 紹介状を書いてもらいました。理由は 私がこのE病院に来ると 思い出して辛くなるので変えたいと言う事でお願いしました。そして2ヶ月間 別の病院にいきました。けれど 診察の仕方や 何度もお医者さまが私に薬の量の事を聞くので カルテを見もしないで言ってるのに 不安を感じ頼る事が出来ない先生は ダメだと。。。次 調子が悪くなった時 またE病院に戻る決心をしました。私の辛い気持ちで にゃあにゃんに ちゃんとしたところで見てもらえないのは嫌なので 私が我慢すればいいこと。。夫にも 私と紹介してもらった先生とのやり取りを見て ダメだと判断して もう一度E病院に戻る事をOKしてくれました。そして T先生の診察日ではない日でしたが 看護師さんが Y先生は辛いだろうとT先生を呼んできてくれました。そして 先生に訳を話して もう一度診ていただきたいことをお願いしました。先生は ”そう言ってくれて嬉しいです”とおっしゃてくれました。今は やっぱりE病院に行くと 辛いし優斗のことを思い出す。けれど にゃあにゃんのためにも我慢です。。。けれど 小児科の反対側は産婦人科。。。先生や師長さん 助産師さんどうしているだろう。。。”赤ちゃんがもう一度授かって生まれたら きっと 教えて頂戴ね”と言っていた師長さん。”何かあったら 相談に来て下さい”と言っていた 産婦人科の H先生。。。 今はまだ もう少し会いにいけません。きっと すぐいい報告ができる事を 信じて。。。。今は 我慢の時・・・。まだまだ気持ちにも波があって しんどいけれど また少しづつ日記も更新してフリーページも書いていこうと思っています。