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カテゴリ:イタリア
朝起きてイタリアの質素な朝食を食べていると、昨日のドイツ人の家族に会い
早くしろ「Quickly, quickly」 としか言わないので、何だろう?飯をはやく食べろということだろうかとあぜんとしていると、もう出るから用意しろということだったらしい、バスがもう行ってしまうと言う。 わけがわからなく、急いで用意しユースを出た。 バスに乗り列車に乗り換えてどこなに向かっているのだがどこに向かっているのかわからない。 もう一度聞いてみて何度か聞きなおしてようやく何となくわかった。 これから5つの村に行くらしい、「でも5つの村ってどこだ?しかも何があるんだ?」 いまだによくわからないまま列車は進み、1時間半が経過した。 しばらくした駅で降りるよと言われて降りたが「ここどこだ?」 正直言うとどこだかまったくわからないし、仮にこの家族と離れてしまったらどうやって戻るかも全然わからない。しかも山道。 いきなり登りからはじまり、あのスペインのサンチャゴコンポステーラの巡礼の道のような感じで山道を歩き小さな村々を周る感じだ。 どうやらわりと観光地のようで人とすれ違ったりする、日本のガイドブックには全然のっていなかったのに、スペインの巡礼の道のように宗教関係なのか?よくわからないまま ひたすら歩く。 山道を歩き、第一の村、第二の村と通過していく。 第三の村で昼食をみんなでとる、やっぱりイタリアと言えばピザでしょ! 自分の会計を払おうと思ったら、英語が話せないので会話はまったくしていないのだが いつもに笑顔をむけてくれて必要なことがあると息子の通訳を通してやさしく話かけてくれるお父さんが、当然のことだろうという感じで払ってくれた。 彼らと一緒にいるときはあなたは家族の一員なのだからという優しい笑顔で さりげなくおごってくれた。 お腹を満たし、さらに突き進む、すべての村が小さいのだけどそれぞれ特徴があり、かつ 周りの環境や自然と溶け込んだ作りになっていて、しかも歴史も古い。 やっぱりこういう住居の作り方といい、残し方といい周りの景観とのマッチングといい ヨーロッパはすごいなと思う。 結局全部で5時間以上歩き、ほとんどがドイツ少年としゃべりっぱなし、 質問の嵐が吹き荒れていて、余計つかれるわいぼけーと 途中嫌になったりもしたが、彼の勉強熱心さと純粋さに悪気はしなかった。 第5の村まで辿りつきそこから列車にのってジェノアに戻った。 やーよく歩き、よくしゃべった。 夕食を彼らと一緒にユースで食べ、昨日もそうだったのだが夜8時過ぎには 部屋に戻ってしまった。夜10時前には寝てしまうらしい 日本のどこかの小学生や中学生に見習ってほしいものだ。 このユースはみんなでテレビがみられるわりと大きなスペースがあり、そこで サッカーをやっていたので見た。 イタリア人二人がテレビにかじりつくように見ていて、ゴールが決まると 尋常じゃないくらいに騒いでいた。 俺はイタリアに来たんだーとその時一番感じた。 サッカーが終わりイタリア人二人が部屋をあとにし、一人でイタリアのテレビを何となくみていると、二人の女の子が部屋に入ってきた。 二人とも美人だったが、一人はいわゆる日本人が描く白人の理想的タイプの 典型的な感じで、スタイルが良く、金髪色白目が青い、ハリウッド映画の世界から 抜け出してきたかのような神々しささえ感じる美しさをはなっていた。 後ろの席に座ったので勇気をふりしぼり話しかけてみた。 美女はこっちが拍子抜けするぐらいにもきさくでまったく壁をはることもなく 話てくれた。 大人っぽい印象もあったが実は15歳でそのアンバランスさもさらに彼女の 艶めかしい魅力に拍車をかけていた。 きれいな英語を話す彼女はポーランド出身だった、しかも修学旅行でイタリアだなんて! 京都、奈良で八つ橋買って、シカに餌をあげて、枕投げやってた俺はなんだったんだー 気が付いたら二人っきりで2時間半以上も話していて、ユースホステルは静まりかえっていた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。 時刻は12時前、シンデレラは戻らなければいけない時間だった。 あまりにも生徒の帰りが遅いから先生が降りてきて、怒りの形相で「何時だと思ってるのよー!」とシンデレラを怒鳴りつけた。 しぶしぶ怒りの先生に腕を引っ張られながら、シンデレラは部屋に帰っていった。 彼女とは10年たった今でも年に一回ぐらいは連絡をしていて、現在はイギリスにいるらしい。この初めて出会った時の半年後の手紙には、クロアチアにバカンスに行った時の写真と「ビールを飲みながらビーチに寝転ぶのは最高よ、マリファナも最高に合おうわ」 という16歳の少女とは思えないコメントと、まだあどけなさが残る笑顔と大人びた表情がミスマッチな写真がまだ日本の高校生だった僕の心を打ち砕いた。 そう、クラスの誰だれが好きとか言ったり、ルーズソックスを履いている同級生を 横目に高校生の僕は遠い国ポーランドに思いをはせていた。 その後彼女とは一回も会っていないが、手紙のやりとりやメールのやりとりから なかなか波乱の人生をおくっていることがわかる。 僕らと同じ世代だが彼女たちは共産圏時代も経験していて自由というものの本当の意味を 理解していると思う。 イギリスに渡り、昼はウェイトレス、夜は水商売で働きながらの大変な生活にも自国に戻って働くよりはましと、自分の自由、幸せというものを求めて生き抜く そのひたむきに何かに挑みながら生きる彼女の姿をみていると、生まれながらにして恵まれている現代の日本に生まれた自分は何て恵まれているのだろう、何でも自分自身の選択次第でできるのではないかと勇気をもらえる。 人はその人なりの地獄を抱えている、美女だからといって幸せな人生をおくるとはかぎらない。 また幸せもしかりだ。 ただ一ついえることはどんな状況であろうとも、それを選択するのも自分だし、自由を勝ち取り幸せに生きるのも自分だ。 彼女の名前はアンナマリア、現代のマリアもまた優しい微笑みと現代を生き抜く強さを持っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.18 10:50:14
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