ファザーコンプレックス
血の繋がった父は私が3歳になる前に、母と私を置いて、女と一緒に家を出た。母は再婚し、義理の父となった人は、私が13歳の時に酒と借金でボロボロになり、失踪した。そして、5年前に末期がんで余命3ヶ月という時に、私達家族のもとに舞い戻り、、『すまなかった』と言い残しこの世を去った。実の父については何の記憶も無い。義理の父には弟と差別をされ、酒を飲んでは殴られた。私は、父親の愛情を知らない。けれど・・・私はファザコンだ。父親に憧れ続けている。たぶん、今も。父親のことを聞かれると、頭に浮かぶのは義理の父の方。甘いマスクのかなりの2枚目だった。母より4つ年下の義父は私にとってはとても若いお父さんで、自慢の父だった。実子の弟が産まれてから、明らかに私を避けたり、弟と比べては差別を受けたり、仕事がうまく行かずに酒に溺れるようになってからは、何かと理由をつけては私を殴ったが、私はこの義父が好きだったんだと思う。母に私の相手をするように言われると、義父は決まって私を映画を見に連れて行った。しかも、子供向けのものでなく、自分が見たい洋画(映画)ばかり。もともと映画好きな人で自分も見たいし、一対一で私の相手をしなくても済むので楽だったからだろう。英語どころか、字幕も読めない4、5歳位から映画は恐ろしい程見た。話しかけると叱られるので、わけのわからないまま見続けていたが、色々な意味で感性はすごく養われたと思うし、ジャズや、洋楽も義父がレコードを掛ける傍らでじっと聴いていたのが、今の私の音楽好きの原点になっていると思う。憎しみと愛情は同じものなのかもしれない。私を殴った、家族を捨てた父を憎みながら、ずっと父親を求めている。求めて得られなかったもの。無条件の愛情、何の不安もなく、呼吸できる場所。いつも親の顔色を伺い、愛情を得るために交換条件のように、いい子であり続けようと無理をし、心を病んでいった子どもの頃の私。スーツやシャツやネクタイが好きなのも、理想の父親をイメージしてるからかも知れない。恋をして、理不尽なことを言ったり、わがままに振舞うのも、全てを受け止めてくれる父親のような愛情を求めている。そんな恋、うまく行くわけがない。実際の父親なんて、そんなにいいものではないのかも知れないが、現実を知らない分、イメージと理想が先行してしまっている私。たとえ私がいい子でなくても、私を愛して欲しい。何の不安も感じさせないように、しっかり抱いて欲しい。深く眠りに落ちるまで、頭をなでていて欲しい。自分が盾になって、誰かをしっかり守っていかなくちゃいけない、もう、そんな歳なのに、まだこんな幻想を抱いている私。理想の父親と、理想の恋人がごっちゃになって、妻子ある人に恋焦がれている私。ばかだな~、だめだな~と思いながら、お酒と仕事と恋愛に依存しながら、やっとこさ、生きている。ダメな自分。でも、そんな自分をちょっとだけ好きだと思えるこの頃。少しは成長したかな?(笑)