支え合い・・・エンジェルハート 、シティーハンター、安全地帯、中森明菜、安藤美姫
安全地帯の玉置浩二さんが歌っていますLion(エンジェルハート第2期オープニングテーマ)そして第2期の最初を飾る25話と26話では声優をやっています25話 死にたがる依頼者125話 死にたがる依頼者226話 もう一度あの頃に126話 もう一度あの頃に2 エンジェル・ハートの主人公は香瑩(シャンイン)、自分の名前すら忘れるほどの幼い頃、誘拐され国家予算並の資金を持つ巨大マフィアの暗殺部隊で育てられるコードネーム「グラス・ハート」とまで呼ばれるようにまで超一流に成長した少女はある日、殺し屋としてしか生きられない自分の宿命に絶望し自殺を計るしかし、同じ日に交通事故死した香、つまり裏の世界NO.1と呼ばれるシティーハンター冴羽 りょうの結婚寸前のフィアンセの心臓を移植され生き続けるその後、死んだとの噂を流し、はれて裏の世界から抜け出した香瑩は、心臓の移植が縁で普通の少女としてりょうと死んだ香の養女として生きていく喫茶店を営むりょうの悪友で盲目の元傭兵、海坊主ことファルコン、そこで働く香瑩のマフィアの訓練時代からの友人シンホン、そして香瑩には実父(香瑩には隠している)でもあるマフィアのボスに依頼され孫を面倒を見る感覚で見守る元マフィアの侍従長のチン老人そんな温かい人達に囲まれた香瑩だったが、幼い頃から裏の世界で教育され生きてきた少女にとっては、普通に学校にも行けないほど一般常識が欠如し、潜在意識の中では裏の世界の人間の習性が活き続けていた寝ている間もリンゴを投げつけられただけでも、無意識に隠し持ったナイフでリンゴを切り刻んでしまうその染み付いた警戒心で、食事姿すら他人に見られることに抵抗を抱いていたというより食事で他人とテーブルを囲むことすら香瑩にも友人シンホンにとっても画期的なことだったそんな香瑩が、養父のりょうと心の中で会話をする養母の香に親子としてなじんでいくのが第一部そして、玉置浩二さんが歌うLionがオープニングテーマのこの第2部の開始の25話からは築いてきた親子の絆を確認するように噛み締めていく25話の冒頭のシーンでは裏の世界の人間の習性をある面では残しつつ、ハンバーガーショップでは大食いをするほどにまで一般社会に馴染みつつある、つまり普通の少女としての一面を表すように変わった事が描かれているそんなりょうと香瑩に自分と暴走するやくざの弟を殺すように依頼する定食屋の店主の声を玉置さんがやっている実は玉置さんが声をする店主とその弟もその定食屋の死んだ先代夫婦が拾った養子の兄弟そんな自分と同じ養子という事情を持つ定食屋の中の家族愛に想いをはせる香瑩というのがこの話のテーマサブヒロインの声を自分の好きな「ああっ女神さまっ」の女神ベルダンディーの声をしている井上喜久子さんがしている(この頃のエンジェルハートはゲスト声優陣が豪華でアムロにはじまり、シァアとララァのバーでの会話、アラレちゃん、ケンシロウとラオウ、ユリアのパロディー、メーテルなど話題も多かったので不慣れな玉置さんには酷な状況だった)エンジェル・ハートはシティーハンターの続編のようで、つじつまが合わない事が多く新説シティーハンターと捉えたほうが良いシティーハンターは裏の世界の人間として正式な結婚すら出来ないりょうと香の恋愛が平行したハードボイルド、エンジェル・ハートは裏の世界から抜け出した香瑩(シャンイン)が普通の人間の幸せを知っていくホームドラマ、裏の世界の人間のりょうが家族(養女)を持つというシティーハンターとは逆転の発想で話が展開しているこの玉置さんが声優をした福留兄弟の話も、人として大切なことが描かれている兄が弟と自分を殺すように依頼するでも弟がやくざにまで落ちぶれたのも、優しさを器用に表せない不器用さゆえだ貧乏な定食屋夫妻に拾われた兄弟、弟は自分達は(大好きな)両親には大荷物だと引け目に思い、ひねくれて育つ兄は自分の学歴を犠牲にして定食屋を継ぎ、弟に学費を用意するが弟はそれを博打で使い込んでしまう、が実は兄の学費も捻出しようという優しい目的があった立場の無くなった弟は真実を話せず、家を飛び出しやくざの道に進む、手っ取り早く大金を稼いで家族に恩返しをして楽にさせるためにしかし、貧乏でも地道に働く家族三人には当然、弟の心の内を理解できず、疎遠どころか、時折持って来る大金すら受け取らないそんな中で両親は過労の居眠り運転で二人共に死んでしまう弟は大金さえ受け取ってくれていればと後悔するが、兄はそんなやくざの弟を両親が健在の内に公正出来させれなかった後悔を抱き、心の行き違いを生んでいたのだ兄は弟を殺し自らも死のうと計画する、これもまた優しさゆえの不器用な生き方だろうそんな折に計画した兄の定食屋での95円(閉店)セールが、これがまた優しさゆえの不器用、しかしあまりにも心憎い!!!!!!!自分も飲食業の人間、気持ちは凄い理解出来る!!!!!!!お客さんには閉店する事は隠したままで、突発的に95円の大安売りセールをするこのセールは赤字は間違いないが、95円という数字に大きな意味がある兄は大量に五円玉を用意して、しかも一枚ずつ穴にリボンを結んで、お釣りとして一人一人のお客様に五円、つまり御縁をお返ししていく商売は利益が出せなければ、ただの趣味のお遊び、邪道中の邪道ではあるが、気持ちは凄い理解出来る!!!!!!!閉店とすら言葉に出さないが「日頃の感謝のお礼」の言葉、例え貧乏でも地道にひたむきに働いてきた人間にとっては、大切なお客様との御縁があってこそ仕事を苦労ではなく生きがいとして感じることが出来る、だから御縁に粋な演出で感謝の態度を表したい気持ちは凄い共感できるまたこんな不器用なやり方も、優しい人間だからこそ、だからこそ余計にあまりにも心憎い!!!!!!!もう家族と呼べる人間はお互い兄弟だけとなったのにも関わらず、不器用な、しかし優しい行き違いを生む兄弟兄に自分達兄弟を殺すように依頼されたりょうは、思い知らされたように語る「人は、たとえ一人でも自分を必要とする人がいれば、生きる価値はあるはずだ、裕介(依頼人の兄)は多くの人に必要とされている、そして裕介も裕司(やくざの弟)も、お互いを一番必要としているんだ」ストーリー自体はシティーハンターばりのミラクルで進んでいくが、最後は兄は弟に必要とされている事を知り生きる気力を取戻し、自分にとって必要な存在である事を再確認をする弟も兄に必要とされている事を知り生きる気力を取戻し、自分にとって必要な存在である事を再確認をするりょう自身がそうである、香、香瑩、そして周囲の人々を始め、この新宿という街が温かい心でりょうを必要としている、だから裏社会の人間でありながら、温かい心を保つことが出来る、生きていこうとする活力が沸いてくる、だからりょうにとってもすべてが必要なのだそして、香、香瑩、そして周囲の人々を始め、この新宿という街自体、りょうに必要とされているからこそ、心強く自分らしくいられる、だからりょうがなおさら必要なのだこれが素晴らしい人間の心の循環であるこのセリフでそれを、りょうもそしてエンジェル・ハートとシティーハンターを好むファンも再確認することとなるyoutubeで安全地帯や中森明菜さんの映像を捜していたらとんでもないレアな映画に行き着いてしまいましたDVD化どころか、もう二度と見るチャンスはないと思っていた映画見たいとは思っていなかったものの、やはり見れるとなったら見てしまうし、映像もダビングしそうですね明菜さんと近藤真彦さんの映画 愛・旅立ち(1985)ストーリーは、アイドル映画らしいミラクルで展開するので話はしませんが、ここでもそういう人間の繋がりがあります友人を亡くして生きる気力を失った少年と、不治の病で余命も知ってしまった失意の少女の恋物語お互いの出会いがお互いの生きる気力を育てていきます、たった半日のデートであっても・・・そして、肉体の生死を超えて、お互いの記憶の中でお互いが永遠に生き続ける事となる・・・生き続ける少年にも、記憶の中で生き続ける少女にも、お互いを必要とされ、だから必要としているに違いありませんやはり、安藤美姫さんの話になってしまうあるファンの方が「皆にポストカードの返事、大変でしょう?ムリしなくていいんだよ」と伝えたら「美姫にしたら大事な時間だから」と笑顔で言っていたそうですあの途中棄権のワールドでの姿、そしてその後こんなことを言っていましたよね「たった一人でも私の演技を求めて頂ける方がいらっしゃる限り、リンクに立たせて頂く、滑らせて頂く」そして今「バンクーバーでは自分らしく、皆さんの思いも一緒に演技に込めて滑れたらなって思います」と言われています今や、美姫さんにとってもファンに必要とされていると感じることが生きていくバイタリティーになっている、だからこそ美姫さん自身がファンを必要とすることが生きていくバイタリティーにもなっているそして、ファンにとっても美姫さんに必要とされていると感じることが生きていくバイタリティーになっている、だからこそファン自身が美姫さんを必要とすることが生きていくバイタリティーにもなっている今日の朝の宗太郎君の特番、ワタミ社長がボランティアはさせて頂くものと言っていた助け合い、いや心の支え合い「ボランティアはさせて頂くもの」と言われれば否定は出来ないが、そこまでかしこまる必要があるのだろうか?「ゆりかごから墓場まで」と言われる英国流のギブアンドテイク、日本流に言えば島国日本の村社会が培ってきた共存共栄助け助けられることにそんな堅苦しい姿勢は必要とは思わない宗太郎君は皆の助けを必要とし、皆は宗太郎君に接する事で人として成長できた、そして肉体は死んでも、レクイエム、つまり彼と彼に臓器を提供した外国の子供の魂は皆の心の中で生きている、それ以上でもそれ以下でもないもっとも、アメリカなんかは国民皆保険に理解が乏しいお国柄、ワタミ社長のように競争社会で勝ち上がった人間にはアメリカ流の自己責任の精神が強いのかもしれないでもここは日本、アメリカではないPS.日の特番で美姫さんは人目を気にする弱い自分と言っていた、本当に人目を気にすることは人として弱いことなのだろうか?確かに人目を気にして自分らしさを見失うことは心の弱さが原因だろうでも美姫さんは決して自分らしさを見失ってはいないでは、人目を気にしないで堂々と我が道を生きるのが本当に強い生き方なんだろうか?我が道を生きると言えば格好は良いが、自分に言わせればそれは強い生き方ではない、むしろ協調性の乏しいワガママにすら思えることのほうが多い人は悩んで苦しんで試行錯誤することによって成長するもの人目を気にして悩んで苦しんで試行錯誤して、他人との協調性の中で本当の自分自身を創り上げていく、これが本当の強い生き方ではないだろうか?!だとしたら、他人の評価を受け止めて試行錯誤して新たな自分自身を創ろうとする安藤美姫は決して弱くは無い、むしろ強いもっと大事な事は、新たな自分自身の中にも頑固なまでに譲れない自分自身が残っているかどうか?!安藤美姫さんは、あれで頑固な面もある、自分自身の他人に対する繊細さを否定的に考えることは一切無い、美姫さんガンバ!!!!!!!