<京都賞 思想・芸術部門の芸術で三宅一生さん>
<前日の講演につづきワークショプの三宅一生さん> <プロフィールの話> ・1938年広島で生まれ、原爆で被爆しています。 ・2歳の時、母は祭りの旗でズボンを作ってくれた。と、スライドで。 ・小学時代は、絵を書くのが大好きだった。 ・中学時代に、イサム・ノグチさんのデザインで、 原爆でこわされた橋が建替えられた。 その橋のデザインに強いインパクトを受けた。 初めてのデザインとの出会いでした。 (しかし、この橋を地元の人は、 なぜ、アメリカの人のデザインで作るのか!と不評でした) ・高校時代は、倉敷の大原美術館に近いこともあって、 ロダン・ルオー・セザンヌ・梅原龍三郎を見によく行きました。 楽しい場所でした。 ・多摩美大のグラフィックデザイン科を卒業して、 ・服飾界の仕事をやりはじめ、 1966~1970年には、 パリのオートクチュールで仕事をしましたが、 パリの5月革命で、自由を叫ぶ人達をみて、 ・僕は、世界の金持ちの人が着る服でなく、 機能的で着易い服を作りたいと、帰国、デザイン事務所をつくる。 僕は、up to date の考え方をしています。 過去はあまり振り返らない。 Wo De Co(世界デサイン会議)に、 若い頃に、服飾は、デザインに含まないのか? と、「ひろば」に、質問状を出したことがあります。 ・そうこうしているうちに、服飾もデザイン・・・と。 ・ART FORUM も開催した。(今までは、服はアートの外) ・カレンダー(キャノン・資生堂)にも起用されたことがあります <1本の糸・1枚の布・ 一生の仕事が,三宅一生の仕事です> 多くの人に着られる服、 いつでも、 だれでも、 どこでも、 長いスパンで着る服。 東洋的、平面的構成、 (折り紙、和紙の復元化、西洋的発生を取り入れない) 1枚の布=A piece of cloth= APOC=コンセプト 1枚の布に対する、とてつもない考え方が・・・ プリーツ発表から10年=APOCの服が。 新世紀の服が、出来た。少量、量産可能。 これから、先へ、新しいステップへ・・・・ <ファッションとは> ・作り手が半分、着られて半分。 ・批判されても、やり続けることが大切。 <APOCまでの仕事・作られたもの> (1970) ・タトウ プリント(刺青) (1970)・ハンカチーフ ドレス (1975) ・包丁カット ・刺し子 ・田舎チェックと田舎縞 (丹波布が元) ・鬼揚柳 (竹筒に木綿を入れて、しわを出す。 冬の冷たい水で・・新潟で作る) ・ステテコ素材のやわらか揚柳 ・麻素材 ・丹前・黄八丈 ・オランダ縞・オランダ絣 (1976)・両面コットン (裏がやわらかいガーゼ) ・パラダイス ロスト (一枚の布) ・一枚の布 ニット (1977)・コクーン コート (今でも買いたい。といわれている) ・こま ドレス (こまのように、円の縞で段々のフリフリ) (1980)・プラスチック ボディ (1981)・ラタン ボディ ・ウォーター ボディ ・七彩 ボディ (1988)・チカタ プリーツ? ・おりがみ プリーツ (綿・ポリエステル) (1989)・リズム プリーツ (1991)・折りたたみ ジャケット ・プリーツを横にたたむ(ピョンピョンと歩くたびにゆれる) (1993)・フライング ソーサー (2001)・デザイン事務所のほかに、APOC部門つくる (2003)・APOCって何?ということで、 21世紀美術館(金沢)で、展示会開催 <テクノロジーとは> テクノロジーを使うということは、人間の欲である。 古さをごまかす為に使い始めると、危険である。 テクノロジーとは、人間の欲なのだから、 人間そのものである。 三宅さんは、よく事務所で話す・・・ 「伝統の手技をどう現代に生かすか。 日々の生活に生かすか、 やっているうちに、FLATのデザインにたどり、 <APOC>・一枚の布を鋏で切って、すぐ着れる服。 (縫製の問題,きれいな商品をどうしてつくるか) (鋏を入れるだけで、無限のバリエーション) ・今までは、私のサイズに合うかしら?から、 私のサイズは、この服かしら?となる。 ・1枚の布に、どこまで空気をつくって、着れるかが、問題。 ・パーツを使って、1着づつつくれる。無駄がない。 <伝統と新しいもの(テクノロジー)・ これから!新しい時代!> これから未来の確実なものの基点となるために、 21 21広報財団法人 三宅一生デザイン文化財団による、 21 21が、2007年3月30日から六本木でオープン (お疲れ様!急用でご一緒できなくて、残念でした。 日記見てくださって、大体こんなことでした。 いつか、東京に行けたら、2121行きましょうね) <尋ね人> 親が鉄道員・東部小学校 1年2組 佐々木 信雄君 6年4組 牧野 笙子さん