まんじゅうこわい。
最近は古本にはまっている。考えたら、土日で最低一回はBOOK OFFへいっている。定番の動きは、土曜の3時半からの次男の水泳にあわせて、車で10分弱のBOOK OFFへ行くこと。先週の日曜は雨模様だったが、会社の近くにできた温泉(まあつくりはスーパー銭湯風)に行った帰りに、ちょっと足をのばして新しくできたBOOK OFFへいった。新刊書店へはあまり行かない。ひとつはOPEN時間が合わないせい。内容は充実した名古屋駅前の本屋は、大体9時閉店。会社帰りに寄るには早すぎる。せめて10時にならないか。急いでいって15分くらいしか見れない。郊外型書店や、家の近くの本屋は12時や2時までやっているが、僕の好きな画集や写真集などは品揃えが今一つだ。名古屋駅前のジュンク堂は好きなホンヤだ。神戸の高校生時代によくいっていて、なんとなくなじみがあることもひとつだが、ここの画集の品揃えはなかなかいい。アルフォンス井上(さばと館=字がでないのでご勘弁)の画集なぞは、なかなか他では見ない。最近気になっているゴヤや、大好きなモローの画集(しかも洋書)をみつけて、”いやあ、こりゃあ・・・・ ・・・・ここの仕入れのオッサン、わかっとんなあ”と思わずつぶやかされたのである。まあ、オッサンかどうかはわからないが、わが用語法では”オッサン”が、”HE”であり、”IT”でもあり、たまに”SHE”を示すコトバであることは、確か昔の日記でも書いた気がするので、以下略。最近ここで発見した、”わかっとるオッサンの棚”は、古本関係の本が集められたコーナー。植草甚一関係や犀の本でおなじみの晶文社とならんで”均一小僧”の異名をとる岡崎武志氏の新刊、”気まぐれ古書店紀行”を発見。手にとって読んだが、価格以外はずばりストライクゾーン。岡崎さんは僕と同じ小学5年の子供(向こうは女の子だが)をお持ちで、ブログを見ると車で娘と「ブ」へゆく、というくだり、まさに同じことしとるやん、という感じ。このBOOK OFFを「ブ」と略す技、非常に感じ入った。今後勝手ながらマネをさせていただこうと思う。氏は名古屋栄で古本に関する講座も現在開かれている様子、行きたいなあ・・上記の本で、氏がTINTINの本を集めていて、古本屋でTINTINを発見し、家にあるかどうかわからず、娘にあるかないか指摘されている様子、(つまり読んでないってことね)このあたりもモロにつぼに入った。実はTINTIN本を2冊「ブ」(さっそく使わせてもらいましたで、師匠)で発見し、600円という値段に非常に悩んでいたが、今からかいにいこうかなという気がしている。明日誕生日(アーンの41歳)なので、自分にプレゼント(こういういいかた、結構虫唾が走るんですが)ということで。いいわけいいわけ。孫引きでスマソ、の今日の気になった文。朝日新聞読書欄(P18)、重松清さんの「ポケットから」より。”責任とは、すなわち呼応ー相手の呼びかけに応えようとする態度のことなのだ。”大庭 健 講談社現代新書 「責任」ってなに?の書評から。”(他者との間に)呼応可能な間柄を作り出し、維持し、発展させていこうとする態度。これが、個人に帰せられる責任の核である。”会社生活で、コミットメントなんていう言葉が増えた。要は、”失敗したら、自分の責任です、責任とります”と言え!!と迫られてるんやろ?と感じていた、でイヤな感じがしていた。それに対するひとつの前向きな態度?回答?のような気がした。もうちょっと読んでみよう。”責任とはネガティブに「負う」ものでゃなく、「担い合う」「分かち合う」ものだ、と著者は言う。たとえこちらの呼びかけがなくとも、向こうの呼びかけにいますぐ応えられる自信がなくとも、とにかく<呼応可能な関係>であることが肝心なのだ。 無責任なふるまいに対する憤りの根っこには、その間柄が一方的に断ち切られた悔しさや寂しさがある。それを裏返して考えれば、たとえば子どもに対するおとなの責任の果たし方とは、子どもが期待する応えを示す以前に「声が届くはずだ」との信頼を裏切らない、ということにもなるだろう。”子供を持つ身として、肝に銘じたいPOINTである。なんかなあ、子供に期待される答えを出そうと、必死になってしまうところがあるしなあ。子供がマンガかいてたら、めちゃめちゃ誉めて、自分の経験を語ってしまうし。。信頼かあ。そうそう、タイトルの意味、”本当は新刊書店でバンバン買い物がしたいものの、手元不如意につきなるべくいかずに我慢している古本好きが、ついつい新刊書店にふらふら入ってしまってホンを買いそうになっている様子”が書きたかったんですが、纏まらないので、最後で言わずもがなの解説を。そこもまあ、自分らしいやね。