妊娠中のお話。
りくの病気は胎児診断で見つかりました。(詳しくは胎児診断をみてね~)なので私は、大学病院の産科にお世話になっていたわけですが大学病院の産科って本当に色んな問題を抱えた妊婦さんがたくさんいるんです切迫流産で絶対安静!!って人もいれば、私のように胎児に問題がある人。本当にいろんな人がいて驚くことも多かった。そんな、大学病院の入院は短期間だったがすごくいろんなエピソードがあった。そんなエピソードの一つ、あまり良い話じゃないけどすごく印象に残っているので書こうと思う。私の向かいのベッドには30台半ばくらいのAさんという妊婦さんがいた(周産母子病棟なのでほとんどが妊婦さんなんだけどね。)その人は、3人目のお子さんを妊娠中。上の子は確か中学生と小学生だったように記憶している。その方がなぜ入院していたかと言うとずばり「切迫流産」私より後に入院してきたが、他の病院からの転院だそうで入院期間は3ヶ月になるそうだった。↑にも書いたが、大学病院というところには色んな妊婦さんがいる。その中でも多いのはやっぱり「流産」や「妊娠中毒」のひと、こういう人たちは本当に大変そうで、行動範囲は部屋の前にあるトイレと洗面所まで、点滴につながれている。興奮しないようにテレビなども控えめにって感じ。Aさんは、その大変な生活へのグチを絶えず言っていた。私は、りくの心臓が悪いだけで妊娠自体は普通だったので、自由に動き回ることができたせいか、「いいわね~大したことなくて」と言われていた。もちろんりくの心臓のことも話してはいたが他人のことにはあまり興味がなかったらしい。周産母子病棟は面会に規制がある。時間ももちろんだが、こどもの面会も禁止だ。(小さな子どもは菌をたくさん持っているそうで、抵抗力の弱い妊婦さんたちへの感染を予防するため)たとえ家族であってもNGなのだが、この規則はけっこうゆるくてこどもが面会してても見て見ぬふりをしてくれる看護師さんもいる。でも、Aさんが部屋で2番目のお子さんと面会してるとき規則に厳しい看護師が来てAさんはたしなめられた。それからがすごかった。面会できる場所は、同じフロアーになるデールームのみ。でも、絶対安静のAさんは部屋の外には出られない。と、いうことはお子さんとは面会できないってこと。Aさんは感情的になって怒り始めてとにかく泣いたり文句を言ったり・・・すごかった。そして、最終的にAさんが言い出したことに私は愕然とした。「子どもに会えないなんて耐えられないから早く出産させて欲しい!!もし、今出産することでこの子(胎児)がダメでもかまわない。この子はそういう運命だったと思うから今すぐ産ませて欲しい」私はこのときりくのHLHSの説明を受けていた。だから、りくが生まれても生きられないかもしれないという不安でいっぱいだったし、そんな風にしか産んであげられない自分を責めてもいた。そんな私の前でAさんが言った言葉に私は正直悲しかったし、腹が立った。Aさんは流産しかかっているだけで、胎児には問題はなかった。だから、もう少し我慢して出産すれば赤ちゃんは元気に生まれてくるだろうでも、りくはどれだけ私のおなかの中に入れていても決して心臓は良くならない。生まれてしまえば、手術が待っているしその手術の成功率も低い。どちらかと言えばおなかの中のほうが肺呼吸をしない分安全だったから、おなかから出したくなかった。なんて勝手な親だろう。自分の赤ちゃんに対して「ダメでもかまわない」なんてひどすぎる。そりゃあ、上のお子さん達も大事だろうけど、この苦労が一生続くわけではないのだし・・・自分勝手すぎると思いました。その後Aさんは興奮したためか深夜になって緊急で帝王切開になりました。その後のことは詳しくは知りませんが一度、福岡こどものNICUで一度お会いしました。大学病院のNICUがいっぱいだったので福岡こどものほうに搬送されたそうです。もちろん、妊娠7ヶ月の出産だったので未熟児だったといっていました私は大学病院の一件もあり、Aさんがきらいだったのでそれ以上はお話もする気になれずそのまま一度もお会いしていません。私はりく以外に子どもはいないのでAさんの気持ちは全く理解できませんし、もしほかに子どもを持ったとしてもこんな無責任な行動は絶対にしない!!だって、命の大切さ重さは誰よりもりくが私に教えてくれたことだから。