読書感想文「死の谷の狙撃手」鳴海 章を読んで
ストーリーは、ジャンボ機ハイジャックに絡んだテロ行為とその周りに蠢く因果関係を描いた小説でした。鬼気迫るような、スナイパーの鼓動を感じさせる描写についつい引き込まれ、読み進めました。睡眠不足はやはり、堪えました。それはさておき、小説の中で強く印象に残った会話を以下に抜粋します。「百姓だからこそ武士になりたいと熱望が人一倍強かったと言えるでしょう。武士武士というが、本当に腹を切って果てるだけの性根の座った連中がどれほどいたか。ご存知ですか。切腹というのは形ばっかり腹を傷つけるだけで、あとは介錯人が一気に首を刎ねたんだそうです。介錯人もないままに、本当に腹かっさばいて、血まみれの腸を部屋中に散らかして死んだ奴はたいてい百姓上がりだったそうで。幕末のね、混乱していた時代、ちょっとしたきっかけがあれば誰もが武士になれたんですよ。だが、本物の武士ではないからよく馬鹿にされていた。そしてちょっとしたことで罪を着せられましてね。今でいうイジメですな。武士たちは知らぬ顔を決め込み、百姓上がりに罪をおっかぶせる。そして切腹です。百姓たちは偽物だけに恐れたんですよ。切腹そのものも勿論怖いが、念願かなってようやく武士になれたというのに、死ぬ間際になって醜態をさらし、所詮百姓は百姓だって笑われるを、何より恐れたんだそうです。やり切れませんねえ。だけど、私には他人事ではなかった」不安要素があることを認めたくないから、不安が無い様に偽ろうとする嘘。彼はこの後、小説の中で殺されてしまうのですが、不安要素があることをまず認めて、その上で、その不安を受け止めていく作業をしていたとすれば、殺されてしまうような場面に遭遇する可能性は無くなっていったものを...。どこまでいっても、悲しいかな、偽りは偽りでしかないのかもしれません。劣等感というものは、誰にでも少なからずあるものです。それを良しとするか悪しきとするかも、事の発端は自分次第なんだと思います。劣等感を本当の意味で克服しようと思うのであれば、さらけ出す勇気を持って欲しかったな。そして、本当の意味で克服できた暁には、もう誰もその部分には存在していないのですから、触れようがない。百姓上がりであってもいいではないか。本当に見返したくて、武士になりたいのであれば...。犯罪心理や感情的に陥る原因は、恐怖心なのだと思います。動物病院に勤務するようになり、攻撃的な動物がやはり存在するのですが、牙をむき出す動物は怖いから牙をむき出すんだということがわかってきています。なぜなら、特に猫ですが、爪を振りかざしたり、毛を逆立てたり、唸り声をあげる猫は、おもらしをしていることが大半です。私自身も、それだけ興奮している動物からの攻撃を受けたくないので構えてしまう部分は未熟なのであります。ただ、彼らが怖がっているのであって、私までが彼らと一緒になって怖がる必要はないことは、少しずつですがわかり始めております。動物病院と空手の練習で、大分、私の中にあったそういった恐怖心みたいなものは、徐々に薄れてきていることを考えますと、私個人に関してのみ言えば、私が歩んできた道筋は、私にしかわからないものかもしれませんが、私にとっては恐怖心を克服するうえで必要な過程であったということがわかります。まずは、己を知り、自分自身を見つめなおす作業、これからもずっと続いていくとは思いますが、大分楽になることだけは確かです。