哀悼
水曜日に喪中はがきが2通届きました。1通は走友会主要メンバーからのそれ。まさしく肉親だけにその心中は察するに余りあります。そしてもう1通は見知らぬ名前の女性からのものでした。若干訝しがりながら故人名を目にした私はしばし立ち尽くし、腰かけてからは落涙が止まりませんでした。大学時代の大切な友人だからです。昭和58年4月、彼(K君)と私は横浜にいました。私は北海道、彼は栃木県から神奈川大学に入学するためです。そして同じ寮の隣同士の部屋で大学生活をスタートしました。K君と私は妙にウマが合いました。それは『ボクシングファン』という共通項があったから。ほどなく彼はボクシング好きが高じて大学のボクシング部に席をおきました。バンタム級リミットを維持するために日頃からの節制を怠らず、また試合前には苦しい減量をしているのを私は知っていました。平生は温和で柔和な好青年。寮とボクシング部と学校の全てで彼を慕う人が大勢いました。彼と私の共通点はもう一つ。バイク好きです。あちこちへツーリングに行きました。丹沢湖畔で4名がポーズを取った写真は今でも私の手元にあります。昭和60年には念願だった北海道ツーリングを行い、私の実家で食事をご馳走しました。大学卒業後の平成2年に私が結婚することになり、半分以上は義理で案内状を彼へ送るとなんと出席との返事。その年の10月21日に兵庫県姫路市から遠く札幌まで彼は駆けつけてくれました。旅費と宿泊費と会費全てを自分で負担して。私は頭が下がり手を合わせました。平成5年、今度は彼が結婚することになり私は姫路市まで参じました。素敵な女性とひな壇におさまる彼は幸せの絶頂でした。その後3人の子宝にも恵まれました。それが彼と会った最後でした。はがきを読んでから私の胸中は穏やかならざる状態でした。彼に何があったのか気になって仕方がないからです。思い余って昨日の午前中、主を失った家に電話を入れました。電話に出たお嬢さんらしき人から奥さんに代わってもらい、名前を伝えてまずはお悔やみの言葉を申し上げます。1度会っただけの私を先方は憶えてくれていました。そして最も知りたいことを尋ねると真相は心疾患による突然死だそう。10月23日の朝、いつもの時間に起きてこないK君を奥さんが起こしに行くと、そこには冷たくなっている彼がいたそう。健康診断等でも別段異常が認められていたわけではないので、まさしく突然死だそうなのです。偶然、昨日は没後1ヶ月。奥さんも少し落ち着きを取り戻している様子でした。そして気丈にも「子供ももう小さくはないので、親子で協力しながら暮らしていきます」との弁。勤務先の休憩中でしたが、私はまたもや目頭が熱くなりました。来週月曜日に近所の郵便局から香典を送付し、彼の墓前に供えていただきます。謹んでK君のご冥福をお祈りします。(7:51)追記今冬初のスノーターサーランにしました。(0:12)本日(昨日)9km。今月101km。53分36秒。