心の教育って…2
教職員は今、戦場の戦士並みのストレスを抱えている、という報告があったそうです。確かに一見平和なわが校の職員室も、それぞれの先生方のストレスが充満しています。最近、わたしは、よがふくさんやかめおかゆみこさんのブログ、メルマを愛読しています。その中に今現代人が一番必要としている心のあり方を発見し、はっとすることが多いです。よがふくさんのブログにこんな一説がありました。ほとんどの人が嫌な感情を 「持ってはいけないもの」と 思い込んでいますが(そう教育されてきたため)人間にとって 必要だから そういう感情があるのです。怒り や 恐れ は 「持ってはいけないもの」 ではないのです。なぜなら 怒り や 恐れ は 何をやっても 決して 自分の中からは なくならないものだからです。それは 怒り や 恐れ も 含めて 人間 だからです。決して なくならないものを なくそうと するから 苦しくなるのです。「道徳教育」で国がどんな目標を掲げていると思いますか?小学1、2年生段階の目指す子ども像をあげてみましょう。「主として自分自身に関すること」として次の4つを挙げています。1、健康や安全に気をつけ、物や金銭を大切にし、 身の回りを整え、わがままをしないで、規則正しい生活をする。2、自分がやらなければならない勉強や仕事はしっかりと行う。3、よいことと悪いことを区別し、よいと思うことを進んで行う。4、うそをついたりごまかしをしたりしないで、 素直にのびのびと生活する。みなさん、どう思われましたか?小学校低学年ですよ。たとえば、お受験対策として、いかにこの子ども像に見せかけるか、という技術を子どもたちに学ばせているとしたら…。まじめな学校や教師は、国の方針をまっすぐ受け止め、このような子ども像に児童を近づけるためのカリキュラム作りやどのくらい個々の子供たちが近づいているかを計る物差し作りに余念がありません。心を計ることはかのうでしょうか。家庭に恵まれない子、健康に恵まれない子…学校にはさまざまな境遇の子供たちがいます。子どもたちに「わがまま」や「ごまかし」はいけないこと、と一律に振りかざすなんて私にはできません。人間の規格を作って、それに近づけるには?という「心の教育」をしている限り、子どもたちはどんどん「心」を蝕まれていくのではないでしょうか。私自身、自分の「心」に振り回されています。私以上に「心」に振り回されている教師たちがいます。優等生型の人間は、人からの評価を糧にがんばります。実は教師にはこのタイプの人間が非常に多いのです。自分が思うほど評価されなかったり、自分が尊敬できない人間が高く評価されたりすることに強いストレスを感じます。そういう時、自分の苛立ちの原因を他者に求めます。これって、かめおかさん流に言うと、自分を被害者にして、自分を自分の人生の主役にしていない、ということになるのではないでしょうか。こういう人間がまた、他人の評価を糧にしかがんばれない人間を作り出していくのかもしれない、と去年一年を通して私は考えました。今年はぜひかめおかさんのワークに参加してみたいと思います。よがふくさんのお話もぜひ直にお聞きしたいです。本当の意味で「心」を開くアクションとはどのようなものなのか、お二人のような実践こそ、子どもたちだけでなく私たちにも必要な「心改革」につながる「教育」なのだと感じています。よろしければワンクリックご協力を