雑記/恐るべき「浅さ」
◆ 「言葉」は場合によって、刃物より鋭利である。その働きは、「手技」によって緩和される。「手技」は「言葉」ほど深くは抉れず、「人間」の「表層」に留まる。「深み」を探ろうと試みる技法もあるが、その「深み」とは「言葉の世界」である。聞いたところ、「光が見える」というのであるが、要するにそれは「言葉」である。「言葉」によって伝えられる技法は、「言葉」の深さにある。多分、ボディワーク技法の求める対象は、恐るべき「浅さ」、多くの「手技」が鈍感にも通過してしまう「表層」(皮膚よりも、まだ「上」か?)に横たわる。◆ 「人間」を探っても「光」へは通底しない。「光の幻覚」に出会うのみである。古からの、「人間」の「出来具合」がそれを許さない。「人間」は外へと向かい、そこで初めて「光」と出会うであろう。