板前さん何処へ?
「 今・板前さんって居ないの? 」 現在「板前」と云われる者が現役ではほぼ消滅したと言う。 誰が言っているのかと言うと「鬼平犯科帳」で料理指導としてエンディングタイトルに名を連ねる日本料理界の最高権威、芸術としての日本料理を現代に復活させた「阿部孤柳」巨匠である。 「板前が消滅した」・・・本来板前というものの仕事はどのような物であったのか? 先ず板前になるには昔「料理十職」と云われる階段を登る大変な修行があった。 小学校四年生を終了の後十一歳で料理屋さんに入って行く、昔は勉強が嫌いとかでその道に入るのでは無く、家にその後の学費が無い為修行に出るものであった。 先ず、関西なら「追い回し」関東では素肌にはんてん縄の帯のスタイルで「半もも引き」と云い、何も教えて貰えず雑用を言い付かり買い物などで悪いものを購入すると叱られ、そのうち小さな坊やが良いものと悪いものの区別がつく様になる。 大切な修行の第一歩となる訳だ。 これが上手く出来るようになると今度は「洗い方」に昇格する。 この洗い方も3段階あり「下洗い」「中洗い」「立洗い」と昇格してゆく。 ここまでは皆裸足で、食事も土間で犬と一緒のような待遇を強いられ、水をかけられることが日常で「アヒル」と呼ばれながら仕事をさせられていたと言う。 ここまで辛抱し眼鏡にかなった者が土間から仕事場へ上がれる。 仕事場へ上がった最初のランクは「立ち回り」と言ってあらゆる事を言いつけられ大変忙しい。 次に「盛り付け」この仕事を覚え初めて入門編が終了する。 これまで約9年間給料は0円。 (教授料と給料は差し引き0円なんだ・・でも御飯はついたってねー) そして丁度二十歳を向かえ徴兵により兵隊さんになり帰って来て初めて職人としての修行が始まるのだ。 しかししかし、ここから又「お礼奉公」と言うのがあり1年間のただ働きが待っている。 ( 又差し引きゼロ・・・?まだまだ道のりは続くねー ) そしてやっと仕事らしい仕事「焼き方」に成り焼き物を習うことに成る。 次に「脇鍋」といって煮物の専門家の家来になり煮物を教わる。 そして当然次は「煮方」として煮物の専門職となる。 最後の板前になる為に板前の脇にいて代理が務まるようになるまで「脇板」として勉強し、晴れてまな板の前に鎮座する大変権威のある「板前」と成って「お刺身を切る事」「お吸い物を作る事」など威張って仕事をする様になる。 今の職人は全て行なう様になり、「一人仕事」と呼ばれるような全てを行なう職人も少なくない。 実際の「板前」の生活は、朝早く河岸に行き、お店には10時ごろ出勤する。 すると「十職」と呼ばれる全ての職人と女将さんも仲居さんも女中さんも全て土下座をしてお迎えする。 威張りながら番台のような高い所に設置された「座り板」と呼ばれるところに座して一堂を見回し又すぐに帰ってしまう。 女将さんは「板前」面倒を見てお送りする。 何処へ行くかと言うと「御花」「御茶」の稽古に行ったという。 それが終わり四時ごろ戻ってくるとまたまた朝と同じく全員でワッとお迎えする・・高い「座り板」の前に座る・睨みを利かせていると「煮方」が御吸い物を持って来る。 それを吸って「甘い」「酸っぱい」とか場合によっては捨ててしまう。 これは職場で一生懸命下ごしらえをする人の舌と普通に生活をして味を見る舌との違いで、全ての味はだしが基本になる為、重要な役割だという。 日本料理のメインは「椀刺」と言って出し汁「吸い地」は刺身と並び全ての料理の基本と成るわけだ。 いい出し汁が引いてあれば安心して任せられるというくらい重要で、お客は「座附吸い物」(一番初めに出すオードブルのようなもの)を吸いそれがまずければその店の全ての信用が崩れるほどの物であると言う。 その出汁を確認し次にその日決められた御刺身を引き終わると高い所から降りてきて、次の間に用意してある御膳で女将さんが「ご苦労様でした」とお酌をして・・・・そして帰ってしまう これから何処へ行くかと言うと「清元」や「新内」を習いに行くという。 ( 優雅だよねー ) 今はこれほど苦労をしなくとも当然職人となれる。 教えてあげても昔ほどの熱意も無く「技術を盗む」などと言う事も少なくなったと言う。( 昔がきつすぎたからねー ) そして日本料理店一つの店で一人だけ存在したという「板前」と呼ばれる「大権威」の職役も絶えて久しいと「阿部孤柳」巨匠は嘆く。 今では職人の格好をしていれば誰でも「板さん」と呼ばれている。 最後に現代と一番の違いは、昔のこの世界挫折者が大変多い中「板前」は頭脳明晰でなければ到達できなかった「匠」と言われていた・・・ (選挙も終わり 久しぶりにリラックス・・楽しい話と思ったが返って緊張してしまった。Good night, sweet dreams.