●生人形を訪ねて「生人形と松本喜三郎」展@大阪歴史博物館、10/2
画期的な展覧会が熊本と大阪で開かれた。これは美術分野でも見世物などの文化研究でも取り残されていた生人形を、国内でもできるかぎり、さらに米国や欧州からも集めて展示するというものだ。 生人形(活人形とも書く)は、通常等身大で人間そっくりに作った人形で、主に見世物などに使われた。江戸後期、松本喜三郎が作りだし、ほぼ同時に鶴本亀八というこの二人の天才が競うようにして高めたものだ。海外ではマダム・タッソーの蝋人形が有名だが、日本では木を削り、京人形の技術を入れて、胡粉(貝殻の粉)を何度も塗ってはこすり、人間の肌そっくりに作り上げた。頭や手足などは木製で胴体は通常は張子や、着物だけだったりする。見世物小屋では、歌舞伎などの物語などの場面を人形とセットなどで作り、それに合わせて物語が語られる。人形が動くわけではないが、いくつかのリアルな場面と語りによって観客を惹き付け、一回の興行、数日間で数万人を集めたという。松本喜三郎、亀八ともに熊本の出身で関西から江戸にのぼり浅草で一世を風靡した。しかしサイレント映画の登場により、人気がなくなった。喜三郎が浅草で作った谷汲観音像はその良さに九州の寺と浅草寺が取りあい、現在熊本の浄国寺の本尊となっている。さらに依頼によって来迎院にも聖観世音菩薩を制作した。喜三郎の技術は官の評価するところとなり、東大医学部の前進から依頼された解剖人形は、体の内部までリアルに作られている。そして海外の博物館などから、日本人の身体見本の制作を依頼された。喜三郎の日本人像はスミソニアン博物館に、ほかにもドイツなど多くの美術館で日本紹介のジオラマや民族学的な展示に使われてきた。 元々見世物用に作られ、胴はなかったり張子のものが多いのでもろく、現存するものが少ない。それを今回、喜三郎らの地元として熱心な熊本市美術館が国内外のものを集めて展示することになった。また興行地として花開いた大阪の県立博物館でも展示された。 まず目を惹くのは喜三郎の聖観世音菩薩像と谷汲観音である。どちらも等身大で地肌の感触、胴が重厚でないことなどから、彫刻にはない雰囲気がある。そして表情もリアル。絵に描いた観音を立体化したような美しさがある。あくまでリアルなところは、彫刻が堅さによって人間から離れるのに対して、生人形はそのもろさで人間に近づいている。思わず紅をさし化粧をしてみたい姿だ。そして初期の作品から、興行が終って故郷に引っ込んで作った地元の名士の小像などまで、見ごたえがある。特に女の首などのリアリティは夢に出てきそうだ。そして各国に散らばっていた弟子たちの博物学的作品も、それぞれどこか奇妙さが魅力となっている。圧巻はスミソニアンの男女の裸像。男性性器などのリアルさよりも、むしろ腕の血管が走るさまは、本物としか思えない。また謎の生人形師鼠屋伝吉の裸像もすばらしい。江戸博物館でも最近の展覧会に生人形が展示され、人形展などにも福松の人形などが展示されている。生人形の技術はマネキン会社に移行するが、プラスティックの普及により、継承する者はわずかだ。ただ福松、平田郷陽など、その技術から人形作家となったものもあり、その技術はフィードバックされて日本の人形界の発展の一因になっている。 しかしその位置付けよりも、実物、生きた生人形を観る機会があれば、ぜひ逃さぬよう。その魅力は見る者を捕えたら離さない。 生人形の評価が美術と歴史文化の間の微妙な位置にある。そのことを、この展覧会を熊本では現代美術館が、大阪では歴史博物館が開催したことが示しているだろう。