バナナラマは原田知世!?
■忘れてた■あ、すっかり忘れてた。マドンナのこと書いて、バナナラマのことを書くのをすっかり忘れていましたよ。80年代にヒット曲を連発し、かつて世界で最も多くのレコード・セールスを記録したイギリスのガールズ・グループとしてギネスブックにも載っていたバナナラマ。(その後スパイス・ガールズに記録を塗り替えられるが。)サラ・ダリン(Sarah Dallin)、カレン・ウッドワード(Karen Woodword)、シボーン・ファーイ(Siobhan Fahey)の学生時代からの仲良し3人組により1981年に結成。セックス・ピストルズの元ドラマー、ポール・クックのリハーサル・スタジオの上にたまたま住んでいたということから、彼のプロデュースによるシングル"Aie A Mwana"でデビュー。(確かスワヒリ語で歌った歌だったと思う。)その後、ファンボーイスリーのバックコーラスを経て、彼らとの競演シングルもヒット。その後、スパンダー・バレエ(Spandau Ballet)やアリソン・モイエ(Alison Moyet:元ヤズー)を手がけた名プロデューサー、トニー・スウェイン&スティーブ・ジョリー(Tony Swain & Steve Jolley)を迎え、バナナラマとして単独で"Cruel Summer"(邦題「ちぎれたハート」映画"Karate Kid"(邦題「ベスト・キッド」のサントラに使用され、後に全米Top10ヒット。Ace Of Baseによる1998年のカバーもヒット。)、"Robert DeNiro's Waiting"(邦題「愛しのロバート・デニーロ」。元々はアル・パチーノだったそうだが、歌詞にしっくりはまらないという理由でデニーロに変更。後にデニーロから彼女達に電話がかかって来た時に、ビデオクリップに出演してよと頼んだが、デニーロに断られたというエピソードもあり。デニーロ、正解だな。)、"Do Not Disturb"(邦題「ビーチ・ホテルでアイ・ラブ・ユー」)などヒットを連発した。さらに、デッド・オア・アライヴ(Dead Or Alive)のユー・スピン・ミー・ラウンド("You Spin Me Round (Like A Record)")の全英No.1ヒットで当時、急速に注目を集め始めていたプロデューサー・チーム、ストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW: Stock/Aitken/Waterman)をプロデューサーに起用し、1986年"Venus"の全米No.1ヒットで世界的に大ブレーク。(オランダのショッキング・ブルーの1970年の全米No.1大ヒット曲のカバー。地元オランダでは最高3位どまりだったらしい。日本でも当時オリコン2位の大ヒットだったようです。今や演歌歌手に転向した長山洋子がまだアイドル時代の1986年にカバーしてオリコン10位。当時のB級アイドル黒沢ひろみも浮上をもくろんでカバーしたが、こちらはオリコン71位。浮上ならず。)↓長山洋子の「ヴィーナス」。眉毛ボーン(吉田ヒロの振りつきでお願いします)。怖いぞ、なんか。↓こちら、黒沢ひろみの「ヴィーナス」。ちなみに私は聞いたこと無いと思う。その後もSAWと組んで"I Heard A Rumour"(邦題「アイ・ハード・ア・ルーマー~噂」"Love In The First Degree"(邦題「第一級恋愛罪」)などヒット曲を連発。黄金期を迎えるも、メンバーのシボーンがユーリズミックスのデイヴ・ステュワートとの結婚を機に脱退。シボーンの後釜としてこれまた学生時代から仲良しだったジャッキー・オサリヴァンを迎え、"Love, Truth, and Honesty"、"HELP"(ビートルズのカバー)などのヒットを放つも、その後、SAWと別れて違う音楽性を模索したのが凶と出てすっかり低迷。ジャッキーが脱退しサラとカレンの二人になって、低迷を脱しようと再びSAWと組むも、時すでに遅し。再びヒットチャートに返り咲くことは無かった。そうして、人々の記憶からも忘れ去られようとしていた、、、というか、すっかり忘れ去られていたのに、なぜか(?)昨年末にニュー・アルバムを出して復活した。実は、彼女達、その間も細々とコンスタントにアルバムを作ってはリリースしていたようだ。そういえば、1996年頃に、小室哲哉が一曲だけプロデュースしたアルバムを出してたな。小室プロデュース曲があまりにもショボかったからか(!?)、日本以外の国では当初小室の曲は確か入っていなかった。ちなみに、ユニゾンでしか歌えない、踊れないアイドルグループとして見られていたバナナラマであるが、(実はよ~く聞かないとわからないが、彼女達はちゃんと一応ハモっている。シブがき隊程度にはハモってると思う。)意外にも曲作りにはセカンド・アルバムから積極的に関わっていて、全曲自分達とプロデューサーで一緒に作っているし、プロデューサーの選出や音楽の方向性のディレクションなどの権限も彼女達がしっかり握っている。そこらへんにも彼女達の息の長さの秘密が隠されているように思う。■癒し系ダンスミュージック■そんなバナナラマがニューアルバムを出したというので、懐かしさのあまり思わず買ってしまいましたよ。DVD付きでした。↓ニューアルバム"Drama"しかしこのDVD、たった1曲しかビデオ・クリップが入っていない。イントロも解説もメニューもなにもなし。そのまんまビデオ・クリップが一曲だけ入っている、ふざけた作りです。さすが、ポニー・キャニオン。おニャン子で売れまくってたときにはブイブイいわせるぜ!(古っ!)てなことを言っていたのに、その貯蓄を生かせず、低迷してるだけのことはある。まぁ、DVDは置いといて、肝心の曲はというと、、、、なかなか良い出来ではないだろうか。そんなにめちゃくちゃハマるというほどではないけれど、そこそこ楽しめる感じ。あんまり期待していなかったけど、思ったより良いです。SAWと組んでたVenusやI Heard A Rumourの頃に比べるとやはり年を取って勢いが衰えた感は否めないが、相変わらずのやる気のなさそうな(笑)歌声を聞かせてくれます。いやぁ、バナナラマっていわば脱力系ダンス・ミュージックというか、ある意味癒し系ダンス・ミュージックとも言えるな。あの息が抜ける独特の歌声は、宇多田ヒカルがデビューしたときに言われてた「今、流行りのウィスパー系」の先取りでもある。(笑)6曲目の"Don't Step On My Groove"のサビの部分、彼女達のやる気なさそうな「ハ~ア~ア」というバック・コーラスはある意味、バナナラマのバナナラマたる所以が凝縮されていて、逆に(?)秀逸。■バナナラマ = 原田知世?■っと、いうところで、ふと思った。バナナラマって原田知世に似ている、、、、。90年代に入ってからの音楽に変に目覚めてしまってからの彼女は良く知らないけれど、まだ角川映画の主役をバンバン張っていた、バリバリのアイドル時代の原田知世。はっきり言って、歌は下手だった。ものすごく下手だった。当時、私は特に彼女のことは好きでも嫌いでもなかった。はっきりいうと、あまり興味が無かった。それが、大人になって聞き返してみると、この微妙に音程がふらつく下手くそで息が抜けるウィスパー系の歌声に、何か妙な安心感というかそういうものがあって、癒されることに気がついた。(不安定な歌声に安心感があるというのも奇妙なパラドックスではあるが。)彼女の素直で透明感のある声質のおかげかもしれないし、松任谷由実、林哲司らによる楽曲の素晴らしさももちろんあるだろう。NYにいたとき、辛い時期によく原田知世を聞いた。(笑)♪ふるさとの両親が よこす手紙のような ぎこちないぬくもりほど 泣きたくなる~♪ (ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ~)そういう意味では菊地桃子も同じように息が抜けるし、作曲は林哲司だし、癒されてもいいはずなんだが、、、どうも癒されなかったな。(笑)■試聴できるサイトを探してみたが、、、■どうも、アルバム全曲試聴できるところはなく、、、っていうか、バナナラマの曲自体、試聴できるところがほとんど無い。ま、そんなもんかな。発売元ポニー・キャニオンのサイト。ファーストシングルの"Move In My Direction"だけ試聴できる。■余談だが、、、。■メンバーのカレンは現在、元ワム!のアンドリュー・リッジリー(Andrew Ridgeley)と結婚しているらしい。え~!!カレンって最初は全然別の人と結婚してて、その後離婚したのは知ってたけど、アンドリューと再婚していたとは知らなかった。↓アンドリューとカレン。アンドリュー焼けすぎ。さすが、サウジアラビア系。そういえば、オサマ・ビン・ラーディンともどことなく似てるような、、、面長で幅の大きな二重でタレ目。割と典型的なサウジアラビア系の顔立ちかな。(ちなみにジョージ・マイケルはギリシャ系。お互い移民系イギリス人の子供ということで、二人は仲良くなったそうだ。)ちなみに、アンドリューは現在、イギリスでレストランのオーナーをしているそうです。Wham!解散後はプロのカーレーサーになるって言ってなかったっけ?俳優になるって言ってたっけ?そしてその後、やっぱりダメだったって言ってソロアルバムを出したよね。"Son Of Albert"っていう。全然売れなかったけど。(ちなみにAlbertはアンドリューのお父さんの名前。)ま、落ち着くところに落ち着いたというわけか。↓これが、最初で最後のソロアルバム。