完璧主義は知らずに忍び寄る
完璧な人間なんてこの世にいないのに、自分の中で堅くイメージされた完璧は、しらない内に自分を毒しているような気がする。理想の自分になりたいと思うのは、人間として当然の気持ちだと思うが、そこに現在の自分を無視したり、否定したり判断したりする視線が入ると、途端に完璧主義にすり変わったりするんじゃないだろうか。例えば感情。こういう感情はこういう場面に感じるべきじゃない、とか思うことってないだろうか。怒りや落ち込み、心細さや恐怖。自然に湧いてきたものなのに、すぐに蓋をして、感じるべきって思う感情に置き換えようとする。マイナス感情やネガティブって言葉で呼ばれれば、やっぱり感じちゃダメな感情って思ってしまう。レッテルや判断でダメって思ってしまったらあまりにも可哀想な感情たち。それもやっぱり完璧主義だ。今にない自分、ここにいない自分、頭の中で何となくイメージしているあるべき自分に近付けようと苦闘してしまう。身体だってそう。太っていたらダメ、若く見えなくちゃならない。フィットネスやダイエット、自分の身体を理想に当てはめようと,現在の身体を楽しむことを忘れて、苦闘するとしたら、完璧主義だ。マスコミや本や情報に踊らされる内に知らずに本来の自分とは無関係なイメージに近付こうとしてる。それは悪いことじゃないけど、あんまり時間を取られるとしたら勿体無い。本来の自分を探究すること、それだって貴重で面白い大冒険なのだと思う。完璧主義は自己嫌悪と相性がいいかもしれない。完璧でない自分はダメって思ってしまうとたちまち自己嫌悪に陥る。反対に言えば、自己嫌悪は警鐘のように自分が完璧主義、そのままの自分以外のものになろうとしていることを知らせる合図にもなるかもしれない。人間の面白さ素晴らしさは、完璧じゃないところ、欠点もいびつなところも色んなところがあるところから生まれるんだって思えれば、完璧主義(症状がひどいか軽いか、色んなものがあると思うが)から少し距離がおけるかもしれない。かなり書き換えました。初めに読んだ人ごめんなさい。