ミヤリーちゃんとうつのミャー国綱君のギョーザダンス! 見てねv その3
それでは本日はミヤリーちゃんとうつのミャー国綱君の、イベント写真をご紹介しますね♪ posted by (C)coolmintカメラ目線でポーズもばっちり!われらがアイドル、ミヤリーちゃんです♪ posted by (C)coolmintギョーザ模様の着物がお素敵vうつのミャー国綱君です!☆☆☆ 国綱君(リアルの方ね)は、下野(今の栃木県)の戦国大名。お父さんの死によって、わずか9歳の時家督を継ぎました。国内の反対勢力や、後北条氏の侵攻に対抗するため佐竹氏・結城氏・武田勝頼・豊臣秀吉らと手を結びましたが周辺諸城が北条氏に寝返ったりして、大ピンチに陥ります。しかしながら、秀吉の小田原征伐が始まると石田三成の忍城攻めに参戦し、大活躍vおかげで、下野18万石の所領を安堵されました。ところが慶長二年(1597年)に、突然秀吉から改易を言い渡されてしまいます。改易(かいえき)とは律令制度では現職者の任を解き新任者を補任することを鎌倉時代・室町時代には守護・地頭の職の変更を意味しました。江戸時代においては大名・旗本などの武士から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収することをいいます。 国綱君が改易された理由には諸説あって浅野長政との養子問題から起こったとも太閤検地に際しての、石高詐疑惑が原因ともいわれ定かではありませんが その後国綱君は宇都宮を追放され、備前(今の山陽地方)の宇喜多秀家預りとなってしまいました。その後、宇都宮氏を再興すべく慶長の役に参陣し武功を立てたりもしましたがお家の再興はかなわなかったそうです。諸国を流浪し、1607年江戸で病死。享年40歳の短い人生でした。 しかしながら、国綱君の息子・義綱君が家督を継ぎ成人した後に、水戸藩に召し抱えられます。1,000石を賜り、見事に宇都宮家の家名が守られたそうですよ。 ☆☆☆ ゆるキャラで、歴史のお勉強・・・いかがでしたか?今回、ふるさと再発見が出来て、とっても楽しかったです。キャラクターの持つ力ってこういう「きっかけ作り」の一つにもなるんですね~凄いv ☆☆☆ 本日もお忙しいところ最後まで読んでいただき、本当にありがとうございましたv皆様に感謝、感謝です! にほんブログ村栃木 日記・ブログランキング