追っかけ日記 NO.93-「敦~山月記・名人伝」-
日曜日、世田谷パブリックシアターに「敦~山月記・名人伝」を観に参りました。 「名人伝」。趙(ちょう)の国の紀昌(きしょう)(野村萬斎)は、天下第一の弓の名人になろうと、当代の弓の名手・飛衛(ひえい)(石田幸雄)に弟子入りした。そこで、教えに従い、2年かけて、火の粉が目に入ろうともつぶらぬようになり、さらに3年かけて、虱(しらみ)が馬のような大きさに見えるようになる。 そこで初めて、弓矢のわざをすべて伝授される。そこで、飛衛は、さらに、この道を極めたいのなら、かく山の甘蝿(かんよう)老師(野村万之介)を訪ねよと告げる。それで、かく山を目指し、旅をする。ところが、彼を向かえたのは、羊のように柔和な目をした、齢は百をも越えようかという、腰が曲がり、白髭を地に引き摺って歩くほどのひどくよぼよぼの老人だった。 そこで、紀昌が、自分の技を披露すると、老人は、「ひととおりはできるようだが、それは所詮の射之射というもの、好漢いまだ不射之射を知らぬとみえる。」といい、その老人は、空に飛ぶ鳥を弓矢を使わずに、射てみせる。 そこで修行すること9年。都に戻った紀昌(野村万之介)は、愚鈍のような表情になり、その後、死ぬまでの40年、弓を使うことがなかった。 一つの芸を極めた結果にいたった無の境地。極まった後、弓矢を使う必要もなく、最後には、その道具のことさえも忘れてしまう。 究極の名人とも言えるのでしょうが、ある意味、その血の滲むよな修行はなんだったのかと考えさせられてしまいます。修行を積む時の負けん気のいっぱいな若き日の紀昌を野村萬斎さん、修行積んで老いた愚鈍のような紀昌を野村万之介さんが演じ、見事に好対照でした。 しかし、今回、一番伝えたかったメッセージは、中島敦の持つ、生死感でしょうか。幼い頃から病弱で、十代から、喘息の発作に苦しみ、わずか33歳で亡くなった敦は、常に死の恐怖と孤独感にさいなまれていたようでした。「みんな亡びる、みんな冷える、みんな無意味だ」「俺たちは、俺達の意思でない或る何か訳の分からぬもののために生まれてくる。俺達は其の同じ不可知なもののために死んでいく」 毎回、私が楽しみにしている萬斎さんのジャンプは、昨年にも増して、高さと美しさがより際立っていたように思います。今秋は、体を鍛えなおすとおっしゃっていましたので、その効果があらわれていたのでしょう。 今回の「敦」は、4度の観劇でしたが、萬斎さんは、演技を工夫して変えられていて、毎回見るたびに違っていました。日曜日はラク日の一日前でしたので、ほぼ完成形に近いものだったのでしょうか。 それとも、今日の舞台の休みに、また練り直して、明後日からの兵庫、そして、来週の福岡公演にのぞまれるのかもしれません。 いずれにしても、無事に地方公演を終えられますように。本日の風水のラッキーアイテムは、「インテリアの本」です。素敵な雑貨とインテリア(2006 秋冬号)税込・送料込み価格300円藤井恵の居心地のいい家私らしい暮らし税込・送料込み価格1,399円和のしつらいを楽しむ(vol.7)税込・送料込み価格1,365円