余命1ヶ月の花嫁
俺は今、余生を生きている。いつからかといえば、2003年1月19日から。おふくろが死んだ日だ。俺を愛している人間、必要としている人間俺の死を悲しむ人間は山のように居るが「なぜ、私より先に死んだ。お前を私は許さない」と俺を責めることのできる人間は世界でたった一人、おふくろだけだ。その人がなくなった。もちろんおふくろの死は俺に甚大なダメージを与えた。突然の別れだったし、俺は旅先にいたし。だが俺は、顔を上げ立ち上がった。そう、俺はこの日から自由になった。いつまで生きようが、いつ死のうが自由なのだ。だから、どんなに楽しかろうが、充実していようが俺の今は余生なのだ。もちろんまだまだ生きて行くつもりだけどね。なので「余生」や「余命」に敏感だ。その匂いのする、書籍、映像、画像は直感的に目にはいる。だがこの「余命1ヶ月の花嫁」には正直参った。俺の半分ほどの年齢の彼女がこれほどの運命を背負うとは。なにも特別なことがなくても、生きていることの実感を毎日噛み締めている俺だが「みなさんに明日が来ることは奇跡です」久々に頭をぶん殴られた。体が震え続けた。この言葉が言えるのは彼女だけだろう。ちなみに俺は今『嵐になるまで待って」の福岡公演やってます。おかもとにも六日連続で行ってます。