私が目指すフラワーアレンジメントとは
日本でフラワーアレンジメントを習おうと思った時に、いくつかの教室の体験レッスンを受けた。そのうちの一つは先生が自宅で開いている教室だった。ロンドンで花屋での実習を兼ねた花留学をしていたという人で、使用していた花のセンスはとても素晴らしかったのだけれど、そのレッスンの趣旨というのには当時、賛同できなかった。その頃の日本のフラワーアレンジメントのレッスンというのは、毎回、フラワーアレンジメントの形(円形、三角形、扇形などなど)を順々に実習していくと言うのが主流で、その先生はそういうのに疑問を感じていて、もっと実生活の中で使えるものをフラワーアレンジメントの基本を交えながら教えて行きたいという方針だった。暮らしの中にフラワーアレンジメントを取り入れるということで、毎回一品ずつ料理の試食とそのレシピの説明も織り込まれていた。その頃、私は逆に、その形を基礎として順々に習いたいと思っていた。また、その体験レッスンで作ったものは手間がかかるわりに実用的ではなく、学ぶことはあまりないのではないかと思い、その教室に行くことはやめた。私は花屋の仕事をすることになったので、確実な形のアレンジメントを作る技術を学んだことは正解だったと思っている。ただし、現在の私が(あくまで趣味としてフラワーアレンジメントを習いたいと思っている)生徒さんにつねづね教えたいと思っていることはこのロンドン帰りの先生のそれと実によく似ている。アメリカに来て、この先生の言いたかったことがよく分かったのだ。日本のフラワーアレンジメントというのは、技術に偏っている傾向があると思う。そういう意味では、日本のフラワーアレンジメントの技術はとても高い。でも、そのアレンジメントは実生活とは切り離されてしまっているように思う。たとえばL字型というアレンジメントの形がある。アルファベットの「L(エル)」の形に仕上げるのだが、それは欧米の家の中にある暖炉の上部の突き出ている部分(よく家族の写真が飾ってあるところ)に左右対称におくためのアレンジメントだ。そのことを知ってそのアレンジメントを実習している日本のヒトはいったいどれだけいるだろうか。逆にもし知っていたらそのアレンジメントを実習することは実用的でないことに気がつくと思う。一般の日本の家にそんな暖炉は存在しないから。アメリカに来て、フラワーアレンジメントというのは、そもそも庭に咲いた花を部屋に合わせて飾るということから発展したということを改めて実感した。私が日本で実習したフラワーアレンジメントの形にはそれぞれ用途があるということを知ったのだ。日本のフラワーアレンジメントの多くは、それを実生活の中でとらえるという視点が欠落しているのではないだろうか。その各用途を知らないでただ単に形だけを実習するのは意味がないのではないだろうか。来客がある時にテーブルに飾るアレンジメント、暖炉に飾るアレンジメント、棚の上に飾るアレンジメント、お見舞いに贈るアレンジメント、発表会で渡す花束、お友達に招かれたときに持っていく花束・・・技術はこうした用途を実現するために必要だが、こうした用途を実現するためのものにすぎない。