ディープにコネクト
子供を持ってから視野や行動範囲は狭まった感じもするが、逆に人間関係は広がったと感じる。共通の話題は人と人のつながりを深めるものだが、その中でも子育てという体験は人種・世代・性別を超えて連帯感をたちまちのうちに深めるものなのではないだろうか。先日オープンした日韓テイクアウト屋は韓国人の夫婦が経営しているのだが、ご主人も奥さんもそれほど英語が堪能ではなく、しかも、店内は空調か何かの音がすごくて、言っていることがあまり聞き取れない。まあ、聞き返すほどの内容でもないので、そのままにしてしまっている。いわゆる、ひとつの、ほにゃらら、である(ということは、海外に暮らす人ならよくあることではないだろうか?)。たとえば、ご主人にこれが初めてのビジネスなのかと聞いたところ、「寿司」と「ボストン市内」という二つのキーワードは聞き取れたのだが、(1)ボストン市内で寿司屋のオーナーをしている、あるいはしていたのか、(2)ボストン市内の寿司屋で働いている、あるいは働いていたのかがイマイチ分からない。まあ、初ビジネスなのか、という聞き方をしての答えだから(1)なのだろうが、私の質問を「どんな仕事をしていたのか」というように理解したとしたら(2)の可能性も考えられる。しかも、ボストン市内の寿司屋のオーナーとして成功しているのなら、何もこんな場末にテイクアウト屋をオープンするはずがないし、じゃあ、店をたたんだのか・・・?と、憶測が憶測を呼ぶばかりで、真相は闇に包まれたままである。話がそれてしまったが、これとは逆に、奥さんの話は一発で分かってしまった。奥さんは"One boy sleep, one boy awake, I never sleep."と言った。これは、息子が2人いて、一人が寝てれば一人は起きていて、私は眠れやしない、といった意味なのだが、こんなにシンプルな英語でも、私はこの奥さんと瞬く間にディープにコネクト(←ちゃんと日本語使え)してしまった。これまでも趣味や仕事などの共通の話題で誰かと盛り上がったことは何度もあるが、子育て関係の話をした時ほどの深いつながりは感じなかったように思う。すでに子育てを終えた、その日初めて知り合った人とも、その時間差を一瞬に超えてぐぐっと近くなれるのである。育児を楽にする商品やシステムは日進月歩の勢いで進化しているし、時代によって育児に関する考え方に違いも見られる。でも、やはり、育児の本質というのは昔からほとんど変わっていないのではないだろうか?自分のこれまでのペースをすっかり乱され、憎きも限りなく愛おしき存在。そんな我が子に振り回されながら右往左往の毎日を生きている、あるいはくぐり抜けて来た体験を持つ人達は、誰でもまさに苦労を共にしてきた友なのだ。