ひさびさのカルチャーショック
ダンナの叔父が77年の生涯を終えて天に召された。昨日はその葬儀が叔父の属していたバプティストの教会で執り行われ、私達も両親にルナを預けて出席した。実は、私にとって、アメリカで初めての葬儀である。葬儀の前に wake と言って、祭壇の前に安置されたお棺の中に入った故人に別れを告げ、遺族にお悔やみの言葉を述べる機会があるのだが、叔父の人柄と功績のために最後のお別れに来る人の列は後を絶たず、予定の時間を倍以上超えてしまうほどだった。遺族である叔母や2人の息子達(ダンナのいとこ)とその家族は、時折涙を流しながら悲嘆に暮れた様子だったが、ここでも、アメリカのハグの文化は健在。参列者の一人一人が、遺族たちとハグを交わす。まだ彼らの立場になったことがないから分からないけれど、こういう時は形式ばったお悔やみの言葉を述べられるより、ぎゅっと抱きしめられた方が心強いのではないかと思う。数年前のこと、私がルナを妊娠中に切迫早産で長期入院していた頃、この叔父と叔母が見舞いに来てくれた。はじめての妊娠、自分の家族は遠く日本にいる中で、おふたりの気持ちは本当にありがたく、心強かった。叔父の家族にあてたお悔やみのカードに、その時の感謝の気持ちと、今度は私が支える側になれたら嬉しい、と、そんなことをメッセージとして添えた。長かった列がようやく途切れ、葬儀が始まると、最初に牧師から、ぜひ一言述べたい人は前に出て来るように、とのアナウンスがあり、7~8人の人たちが立ち上がり、スピーチをした。こういう時、日本人だと、ご遺族の方々に心よりお悔やみを申し上げますだの、とりあえず「言うべきこと」というのがあって、それを言わないことにはなかなか本題に入れなかったり、美辞麗句や形式ばったことだけを並べ立てるだけであまり内容のない言葉に終始してしまうことが多いが、それはきっと、本当に何か一言述べたい人ではなく、故人との立場上、本来は言いたくないのに言わなくちゃいけない人にお鉢が回って来るという背景もあるのかもしれない。また、本音より立場上無難なことしか言えないのかもしれない。でも、昨日は本当に何か一言述べたい人ばかりがスピーチをしたので、どれも一つとして同じものはなく、胸に響くものばかりだった。特に、12歳の親戚の子が「ぼくは残念ながらおじさんのことを良く知らない。よく知ることがないまま、おじさんは亡くなってしまった。人はいつ死ぬか分からない。だから、自分の親戚や友達をよく知るように努力をすべきだ」というスピーチをしたのだが、会場中の拍手を浴びていた。さて、葬儀は祈り、歌、祈り、歌・・・の順に進行して行くのだが、まず、歌が素晴らしかった。その教会の信者なのでアマチュアなのだが、本当に歌が上手で、ホイットニー・ヒューストンをはじめ、数多くのアメリカの歌手が、もともとは教会で歌っていた、というのは納得だ。考えてみれば、少なくとも週に一度のペースで練習の成果を発揮できる機会が与えられるのだから、それだけでもどんどん上手くなって行くのだろう。叔父は教会の運営に関わっていたこともあり、同じ市内の他の教会からもゲストスピーカーとして何人かの牧師が来ていてスピーチをしたのだが、彼らは真のエンターテイナーである。しかも、途中から神がかって来て絶叫に近い説教になる。さらに、熱心な信者たちからYes, sir!などの合いの手が入り(何となく歌舞伎の「○○屋!」という歓声を思わせた)、教会の中がどんどん興奮に包まれて行く。キリスト教系の学校に通ったこともあり、キリスト教とは全く無縁でもない私だが、正直言ってやはりこういう雰囲気には面食らってしまう。エディー・マーフィーが1人ン役で映画の中でこういう牧師の役をやっていたよなあ・・・などとたいへん不謹慎なことを考えてしまったぐらいだ。私はキリスト教関係の英語の語彙がごっそり抜けているので概要しかつかめなかったのだが、死は悲しいけれど、死者は悲しみや痛みや苦しみから解放され、神から選ばれた者として天国へ入ることを許されたのだ、というようなことだった。葬儀の進行表のタイトルも、"Celebrating Life and Home Going of XXX(叔父の名前)"、つまり、叔父の人生を讃え、神のもとへ召されたことを讃えよう、といった意味で、このタイトルだけでも、死生観が一般的な日本人とは違うと感じる。牧師のスピーチや説教も多くのユーモアでもって語られ、教会中にしょっちゅう笑いの渦が沸き起こるぐらいである。私は日本で仏教と神道の葬儀を経験しているが、お寺や神社の中で正座して頭を垂れ、お経や祝詞を黙って聞いている・・・という光景とは大違いである。葬儀の後は教会の地下にあるホールで会食の機会がもうけられた。信者達がめいめい持ち寄った手料理が並べられていた。黒人系の教会なので、やっぱりいつも大勢で食べるものと同じ(笑)。マカロニ&チーズ、バーベキューチキン、フライドチキン、ポテトサラダ、インゲンの煮物、米とビーンズを炊いたもの、ハム、ポーク、などなど。手作りのケーキも何種類もあった。アメリカに来て5年が過ぎ、この国のことをだいぶ分かったような気でいたが、実はまだまだ奥が深いのかもしれない(笑)。久々のカルチャーショックであった。