今、「死」を考えている人たちへ。
最近小学生~高校生の「いじめによる自殺」というニュースを目にします。そしてその度に心が痛くなっていました。毛絽莉は「うつ病」です。病気のせいで「自殺」を考えたことがある人間としてはとても他人事とは思えません。「うつ病」によって「自殺」を考えたことがある毛絽莉が思うこと、これから書きます。毛絽莉は「うつ病」という病気によって「自殺」を何度も考えたことがあります。現に昨日も「自殺」を考えました。毛絽莉の場合は、何日も身体がしんどい状態が続いて、気分が沈むと「死」について考えます。「毛絽莉が生きていること自体申し訳ない」と思ってしまうのです。仕事も出来ない、家事も出来ない、家族や友人達に心配や迷惑ばかりかけてなんの役にもたっていない。生きていること自体が迷惑で、毛絽莉なんてこの世に居ないほうがいいのではと思うのです。電車に飛び込もうとしたこともあります。包丁でリストカットしようとしたこともあります。死ねないとどこかでわかりつつも、家にある薬類を全て集めてオーバードーズしようとしたこともあります。でも、どれもあと少しのところで思いとどまりました。「未遂の未遂」で終わりました。今振り返ると・・・「死んでしまいたいと思うほどしんどい気持ち」になっていた毛絽莉のことのほうが「未遂の未遂事件」よりも悲しくせつない気持ちに襲われます。「死」はしんどい状況にいるときは、とてもステキなことに思えてしまいます。しんどい状況から一刻も早く逃げるためへの最後のステキな手段に。それを考えることは、毛絽莉はいけないことだとは言えません。それは本人の本当の意思じゃないからです。「しんどい状況」がそうさせてるだけだと思うからです。毛絽莉は人は産まれてきて、その人の寿命をまっとうするまで、本来はずっと「生きていたい」と思うものだと思います。それが、病気だったり、環境のせいだったりで「生きていたい」と思う気持ちが見えなくなってしまうんではないかと思います。「人の命を大事にしましょう」って学校の先生や大人は言います。でも、なぜ人の命は大事になのか、ちゃんと説明出来る大人はいったいどれくらいいるのでしょうか??なぜ人の命は大事か。いろんな意見があっていいと思います。うつ病になって・・・毛絽莉が見つけた答えは「お母さんが命がけで産んでくれた命だから」です。お母さんが命がけで産んでくれた命、せめて寿命までまっとうして「きちんと生きる」ことが両親への最大の恩返しではないでしょうか。そして、うつ病になってもうひとつ見つけた答え「人はどんな状況にあっても誰かに愛されている」ということ。毛絽莉は「頑張ってない自分は愛してもらえない」と思って人生突っ走ってきました。その結果、「うつ病」になりました。そして「頑張れない自分」になったとき、すごく不安になりました。「もう愛してもらえない。自分は生きてる価値がない」と。それで「死」を考えました。でも、うつ病になってやっと毛絽莉は「頑張れない自分・・・なんにも出来なくても毛絽莉が生きているということだけで、毛絽莉は愛してもらえる」ということを知りました。長くなりました。いじめがしんどくて、自殺を考えている人へ。死んだらだめだよ。いじめられるのはしんどいよね。毛絽莉も軽いいじめにあったことあるの。自分が否定されてるみたいで、自分の価値がないみたいに思うよね。よく今まで頑張ったね。しんどい状況に。もうこれ以上頑張る必要ないから。頑張る必要がないっていうのはね、「死」を選ぶことじゃないんだよ。「学校」だけが全てじゃないの。小学生~高校生の人は「学校=社会」なんだろうけど、大人から見たら、それは特殊で狭い社会なんだよ。社会っていうのはもっともっと広くていろんな場所やいろんな人たちがいるの。逃げるっていうのもしんどい状況のときは大事な選択肢だよ。学校に行かなくたっていいじゃん。転校っていう手もある。勉強はやる気さえあればどこにいたって出来るんだよ。頑張ることが全てじゃないよ。「頑張れない」って言う勇気が大事なんだよ。あなたは少なくてもご両親から愛されてる。だって、あなたはご両親の「愛とシアワセの塊」なんだから。最後まで読んでくださってありがとう。