梨木香歩「裏庭」
娘に薦められて読んだ本、梨木香歩「裏庭」、久しぶりに深いファンタジーにであいました。本の中から幾つかの言葉を…・「真の癒しは鋭い痛みを伴うものだ。さほどに簡便に心地よいはずがない。傷はいきておる。それ自体が自己保存の本能をもっていおる。大変な智恵物じゃ。真の癒しなど望んでおらぬ。ただ々傷の匂いをかぎわけて、集いあい、その温床を増殖させて、自分に心地よい環境を整えていくのだ」・「傷を大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ」・人が人をわかろうと努力するときは、既にほとんど半分くらいは許せる気になっているものだ。 けれど、さっちゃんは、母親のことをわかろうとなんてしたことがなかった。正直いって、母親のことは努めて考えまいとしてきた。だれが傷む傷口をわざわざ開いて中を見ようとするだろう。・「私には、あなたがたの間になにがあったのかわからないけれど、さっちゃんには、きっとまだ生々しい傷なのよ。無理に治そうなんてしないほうがいい。薬付けて、表面だけは綺麗に見えても、中のダメージには返って悪いわ。傷をもっているって、ことは飛躍のチャンスなの。だから、充分傷ついている時間をとったらいいわ。薬や鎧で無理にごまかそうとしないほうがいい」・「鎧をまとってまで、あなたが守ろうとしていたのは何かしら。傷つく前の、無垢なあなた?でも、そうやって鎧にエネルギーをとられていたら、鎧の内側のあなたは永久にかわらないわ。確かに、あなたの今までの生活や心持とは相容れない異質のものが、傷つけるのよね、あなたを。でも、それは、その異質なものを取り入れてなお生きようとするときの、あなた自身の変化への準備ともいえるんじゃないかしら『傷つき』って。・「…傷ついたらしょうがない、傷ついた自分をごまかさずに見つめて素直にまいっていれはいいっていうのよ」・― 私がなりたいもの? 私が… 「なりたいのは、私しかいない」・― ママと自分ははるかに遠い場所にいるんだ。 その認識は、照美に、自分と母親はまったく別個の人間なのだ、という事実を肌で理解させた。 突然、裏庭の世界で経験した感情のダイナミックの動きが、再び照美を襲った。雷に打たれたように、照美はそのことを理解した。まったく別個の人間。それはなんという寂しさ、けれど同時になんという清々しさでもあったことだろう。・「私は、もう、だれの役にもたたなくていいんだ」この間観た「チョコレート工場」ともあいまって、心に深く入ってくる物語でした。もう一度、読みたいのに図書館から「期日が過ぎてますよー、早く返して!」の電話。自分で買って何度も読んでみたい、ストーリーもドキドキ、ワクワク、お勧めです。