AIと人間
先日のブログで、生成AIに対応しないとこれからの世界で生きていくのは難しくなるというようなことを書いた。生活のあらゆるところに今後AIは活用されていくだろう。そしてAIを使う人が増え、データが蓄積されればされるほどAIはますます発展していくというサイクルが出来上がってくると思う。 プログラムとかソフトとかアプリというモノは、今はまだ決められたロジックに従って結果を出すものである。そのためとっさの対応や、例外的なモノに対応ができない。現在では人間がソフトに合わせてあげなければ上手に動かないのが現実である。 人間の脳みそをプログラムに任せる人工知能化(AI化)というのは、人間がもつあいまいさやあいまいさへの対応ができないだろうと言われていた。だが世の中には頭の良い人がたくさんいるので、近年では人がもつあいまいさや不合理な言動にも対応できるAIが開発されていると聞いている。 そうなると指示に従わないロボットや、さぼるロボットもできてくるかもしれない。いい事か悪いことがわからないが、人間の思考というのは実に不合理にできているとお父さんは思っている。 お父さんは技術屋なので、真実は一つというか、正しい理論で正しく行えば正しい結果が出てくるというのが好きである。だが現実の世の中では、怒ってはいけないところで怒る人がいたり、言ってはいけないことややってはいけないことをやってしまう人がたくさんいる。正しいことを正しく行うことをやり続けるのは、人間には難しい。 逆にロボットや人工知能には正しくないことを正しくないやり方でやることができないと思っていた。そういう人間の不合理さまでAIで再現できるようになってきたとしたら、今度は人間の存在価値が揺らいでしまうと思うのはお父さんだけだろうか。 自分で経験したからよくわかることだが、人間が一番不合理に行動するのは「恋愛」に関してだとお父さんは思っている。恋愛にはまってしまうと行動が感情に支配されてしまう。合理的でないことを必死でやるのでものすごく気力も体力も使うことになる。 遠くない未来にはAIと恋愛、AIと結婚というのも現実に議論される時代になるのかもしれない。それが進むとAIに振られて自殺するとか、AIを取り合ってケンカするという事件も起きるかもしれない。 AIをどこまで生活に入り込ませるかは、人間が決めることだが、需要があれば倫理を無視するというか、新たな倫理やルールができる世の中である。何が起きるか怖いとも思うが、お父さんはこういうバカみたいな空想をするのを楽しんでいる。