富士宮 柚野の里めぐり
彼岸花を堪能した後は、公民館の駐車場に車を止めて芝川へ。【芝川のポットホール(甌穴)】県指定文化財(天然記念物) 芝川の河床に富士溶岩がところどころ露出しており、その岩面のくぼみ。 川は柚野側道橋より上流の方は高低差があり、滝のように流れ落ちる激しい流れ。富士山が見えてたらかなりの絶景だったろうなぁ~。 堪能した後は、公民館前にあった地図を見ると、「かぶと石」を発見!ポットホールよりも近そうなので、散策してみる。 墓か何かの碑のように見えるこれか?と思い、とりあえず写真。家に帰って確認したら、どうやら道祖神みたいです。 デカすぎ~!!【縄文の里 大鹿館 と福石神社】 『大鹿窪遺跡』国指定史跡 約13,000年前の縄文時代草創期の遺跡で、竪穴住居による集落としては国内最古級。大漁の縄文土器・石器等が発見され、訪問した際は発掘調査中でした。(~R2.10/30)『福石神社』 かつては富士山本宮浅間代謝の摂社(明治以降は末社)であった。浅間代謝の流鏑馬祭には、大鹿村で精製した甘葛を献上していた。 甘葛(アマヅラ)とは、アマチャヅルのこと。甘味料のひとつ。 砂糖が貴重な時代には水飴と並んで重宝された。 逆さハートの灯篭と疫病終息祈願の旗神社前の田んぼに、9月上旬にこの辺りで「かかし祭り」が行われた名残が。 カメラを持った おじさんカカシ のようです。<参考>富士宮市 歩く博物館「下柚野・大鹿窪地区 「柚野の里をめぐる南コース」」http://www.city.fujinomiya.lg.jp/sp/citizen/llti2b000000152v-att/iiosmo000000621x.pdf最後に、織田信長の首塚のある下馬札の由緒ある寺院【富士山 西山本門寺】下馬 札ってどこでもある。と思っていたのですが、第十八代 日順上人が京都に於いて布教された折、後水尾天皇の姫君常子内親王が富士山西山本門寺の御施主となってお納めになり、下馬下乗の禁札を建てることを許された。ここが発祥ということですね。また、日順上人の内過去帳の旧暦6月2日の「惣見院信長」の記述以来、口伝で信長公を供養してきた。という歴史あり。『黒門』 そして、黒門横、すぐそばの里山にも彼岸花が満開。 ここは前回訪問時(当blog参照:本門寺 と 信長の首塚)の際、かつて30余坊を超える坊の内、単立寺院となっている浄圓坊・大詮坊・妙圓坊の3か坊を行き忘れたので再訪です。 長い長~い参道を歩いているだけで森閑とした空気が気持ちいい。「妙圓坊」 「代官門」 大詮坊は武田家出身の本門寺第13代目日春上人により永禄8年(1565年)開創。古来「代官席」としての要職を占め、大詮坊のみ山門建立が認可されていた。「代官門」をくぐり、さらにもう一つ門をくぐると 「大詮坊」 「かつてあったであろう坊の名残?」 ここだけでなく、浄圓坊・大詮坊・妙圓坊が並び立つ向かい側にも灯篭門が立ち並び、かつてはここも坊があったんだろうなぁ~と思いをはせる。「浄圓坊」 まだ もみじが青々としていますが、紅葉の頃になると色づいて秋の装いになるのかな。「本門寺の梵鐘」 寛永21年(1644年)鋳造 作者:江戸の尾崎長兵衛「大銀杏」推定樹齢約200年 幹周:4.11m この時期、銀杏が鈴なり。この匂いをかぐと御堂筋を思い出すわぁ~。 これを知らぬ間に踏んで職場に行くと、1日中オフィスが銀杏くさいんですよね~。私だけでなく、全員が対象。常に誰かが踏んでいる・・・。「本堂(旧客殿)」 前回はこの本堂横のPから来たので、坊に気づかなかったのだが、今回は黒門前の芝川スポーツ広場のPに止めたのでバッチリ網羅できました。ランチ時だったので、黒門横の「そば処黒門」に行ってみたら、金・土・日・祝のみ営業。ガーン。 残念。すでに口がそばが食べたい口になっているので、戻る途中に、前回気になってたお蕎麦屋さんへ行ってみる。富士宮の芝川駅や隣駅の沼久保駅に近い富士宮よりの富士市にある手打ちそば うなぎ「いし川」 田舎手打ちそば(十割そば) 山芋とそば粉100%で打った昔懐かしいお袋の味 がウリ。ソバは見た目でもわかる手打ちを感じる素朴な感じ。つけ汁とそばつゆの2種用意されており、鶏肉・人参・しいたけ の入ったソバの為のつけ汁。2種とも甲乙つけがたく、どちらも美味しくって選び難い程。珍しさからだとつけ汁か・・・。美味しかったです。こちらのお店、店内で食べても税金は8%(外税)なうえ、1円単位は切り捨て。と、とても良心的。素朴感がとてもよかったです。 メニューを見てると、国産うなぎ(関西焼き)も美味しそうだったので、次回は鰻を食べに来ようと思う。半日とは思えない程に 堪能しました。