神経症克服のコツ
2018年8月号の生活の発見誌に「手洗い強迫の女性」の話があった。森田先生のところに、 「手洗い強迫」の女性が入院してきた。その女性は別の精神病院に3回も入院したが治らなかった。彼女が踊りが好きなことを見つけた森田先生は、 「仕舞」を習うように勧めた。彼女は手洗いをしながらだんだんと上達していった。そして、森田先生と約束した1年が終わった時に、それまで行けなかった風呂屋にも行くことができるようになった。それをきっかけに手洗い強迫は消失したのである。つまり、自分が熱中する好きなものを見つけたことが強迫行為の必要性をなくしたのである。この部分を、私が参加している集談会で話し合った。ある人が不安神経症で苦しんでいたとき、偶然にラジコン飛行機を飛ばす同好会に出会った。彼は、その同好会に入り、上手な人から手ほどきを受けて、自分でもやり始めた。そのうち、自分でもラジコン飛行機を買って、メキメキと腕を上げていった。ラジコン飛行機が大空を自由自在に飛ぶようになると、その時だけは症状のことは忘れて、無我夢中であったという。 不安神経症と格闘ばかりしていたと思うとゾッとすると言われていた。自分が熱中する好きなものを見つけることによって、不安神経症と共存できた。仕事も辞めずに継続できた。私も対人恐怖症で、会社の中では針のむしろに座らされているような苦しい状況だった。寝ても覚めても他人の思惑を気にしていた。毎日が雨降りのようなうっとうしさが付きまとった。そんな中、森田全集第5巻で森田先生の宴会芸の話に触発された。特にウグイスの谷渡りが参考になった。早速、自分でも取り組み始めた。一人一芸である。次第に弾みがついてきた。それらに取り組んでいるときは、無我夢中で対人恐怖は気にならなかった。最初はアルトサックスにのめりこんだ。そのうち、獅子舞、どじょうすくい、浪曲奇術、手品、腹話術なども手掛けるようになった。それらの趣味を通じた人間関係も広がってきた。会社の中で苦しいことが続いても、その人たちが味方になってくれるという気持ちが救いだった。次第になんとか生きていけるという感触があった。その他、一時期トライアスロンにも挑戦したことがある。目標を立てて、 3年目に大会に参加して完走できたときはものすごく嬉しかった。ここでは「鉄人会」という仲間との交流や練習が楽しかった。あと、様々な国家試験や民間資格に挑戦した時期もあった。社会保険労務士、行政書士、宅地建物取引主任者、ファイナンシャルプランナー(AFP,CFP)、メンタルケア心理士などに合格した。そこでも多くの学習仲間との交流があった。みんなで情報交換して助け合いながら学習していた。こうしてみると、これらに取り組むことによって、対人恐怖の葛藤や悩みは、少なからず減少してきたと思われる。人の思惑が気になるという私の対人恐怖症のコアのようなものはなくならなかった。しかしアリ地獄の底にいて、頭の中を100%対人恐怖症の苦しみで占領していた状況は一変した。対人恐怖症以外の事を考える割合が格段に増えてきたのである。そうなれば、最初のうちは10% 。そのうち50% 。最終的には80%ぐらいは対人恐怖症以外のことを考えられるようになった。体験してみたことで分かったのは、対人恐怖症はケガが治るように完治することはない。しかし、対人恐怖症のことを考える割合が少なくなれば、それはすでに対人恐怖症が治っていることではないのか。仮に50%症状以外のことを考えられるようになれば、50%は治っているのである。ここが間違いやすいところだ。あまり欲をかいてはいけないと思う。これが確信に変わってきた。すると、昔のように対人恐怖症でのたうちまわる事はなくなったのである。症状の克服にあたっては、こういう気持ちで楽に取り組んでほしいものである。