「あるがまま」の捉え方
第14回形外会のことです。神山さんという女性の方が、とても恥ずかしいんですけど、治りたい一心で話しますといって次のような話をされた。彼女は15歳の頃から鼻が悪く、頭が悪くなり蓄膿症の手術をした。17歳のとき大学病院で診察を受けたら腹膜炎だと言わて絶対安静を命じられた。その後慶応病院で診察を受けたら、腹膜炎ではない、神経だと言われ、鎮静薬を処方された。主婦之友で、倉田氏の記事により、森田先生の本を見てからは、肩の凝り・不眠も治り、裁縫も自分のものだけはできるようになりました。しかし脳の疲労感がとれず、ついに入院することになった。今は一生懸命に働いて、この2、3日は、非常に愉快になり、脳の疲労も問題にしなくなりました。この話を聞いて森田先生のお話です。「あるがまま」ということについて、神山さんが、「とても恥ずかしいけれども」といって、自分を投げ出したが、その立たない前には、心がハラハラして、ずいぶん苦しかったであろうが、こう自分をそのままに打ち出した瞬間から、まったく恥ずかしくなくなった。これが「あるがまま」であり、恥ずかしさになりきったときのことであります。今晩の「とても」は神山さんの傑作であります。(森田全集第5巻 129ページ)「あるがまま」というのは、不安や恐怖に対するはからいを中止して、本来の欲望に乗ってなすべきをなすというふうに理解されていると思います。理解はしていても「あるがまま」にはなれないというところがもどかしいところです。森田先生は、自分の隠しておきたい過去の不祥事、ミスや失敗、弱点や欠点などを赤裸々に人前で公開できるようになると、事実そのものになり、心の葛藤がなくなるので苦悩はなくなると言われています。神経質者は隠したいものを持っていると、事実をねじ曲げるようなことに注意や意識を向けてしまいます。注意と感覚の悪循環のことを精神交互作用と言います。これを断ち切らないと、不安はどんどん増悪して、最悪神経症として固着してしまいます。沸き起こった不安のままにしておけば、一生を左右するような不安にはならないはずです。森田理論は精神交互作用を断ち切る方法をいろいろと教えてくれています。これを森田理論から学んでいきたいものです。その中に、「本来の欲望に乗ってなすべきをなすこと」というのがあるのです。でも本来の自分の欲望がよく分からないという人が多いのが現状です。私がお勧めしたいのは規則正しい生活の中でルーティンワークを確立することです。同じ時間に同じことをする習慣を作り上げることです。習慣化すると、頭の中でやりくりをしなくても、身体のほうがすっと動いてくれるようになります。この状態は、「はからい」は続いているでしょうが、周りの人から見ると「あるがまま」を実践しているように見えるのです。