阿部先生の神経症が治るということ
精神科医の阿部亨先生のDVDの中から、これはと思ったこと2つほど紹介したい。1つ目は、神経質者に、 「今抱えている不安を100だとすると、どの程度まで下げたいのか」と質問すると、限りなくゼロに近づくまでなくしたいという。不安が全て片付かないと承知しないのである。普通一般の人に同じような質問をすると、 70とか、 60位に下がってくれば十分だという。精神的な苦痛が多少なりとも少なくなれば、その分目の前の仕事や日常茶飯事が何とかこなせるようになると考えている。これなら精神科医で十分対応できる。しかし不安を100%なくしてくれと言われても、対応できない。普通一般の人は、不安を抱えたまま、仕事や日常茶飯事をこなしているといえよう。目の前に異なる2つの問題や課題を持ちながら、どうにか普通にこなしているのである。普通の人はそういうことができる能力を持っているといえるかもしれない。神経質者の場合は、今抱えている不安や恐怖が全てなくならないと落ち着かない。また不安を抱えたまま、同時平行的に目の前の仕事や家事、育児をうまくこなせないと考えている。仮に手をつけたとしても、十分に満足できる成果が上がらないと考えている。やることなすことがデタラメになると考えている。100%の成果が上がらないようなことが最初から予想される場合は、手を付けない方がましであると考えているのだ。その結果、会社を休んでしまったり、食事の準備を放棄して、出来合いの惣菜で済ませたりする。本来、自分ができる仕事や家事なども、 他人に肩代わりしてもらって、自分は今抱えている不安をなんとかしようとしているのだ。 1つのことに集中しているのだ。しかしなんとかしようとすればするほど深みにはまってどんどん増悪して、抜け出すことが困難になるのである。そういう意味では、普通一般の人に学び、不安を抱えながらも、目の前の仕事や家事がこなせるような能力を身につけることが大事になってくる。そのためには、森田理論学習が欠かせないと思う。次に阿部先生は、神経症が治るということについて、次のように指摘されている。神経症が治るということについて、どうも誤解があるようだ。小さなことが気になり、いつもビクビクしながら生活している性格を変えて、心の中に小さいことを気にしないようなおおらかな別の性格を持った人間に変身することを目指している節がある。このような考え方は間違いなんですね。心の内面が変わってきたとか、よくなってきたとかと言う事ではないのです。そういう人は、気分を測定しているのです。今までは嫌なことがあるとすぐに憂鬱になっていた。神経症を克服すると、嫌なことがあっても、あっけらかんと受け止めることができるようになり、落ち込む事はなくなるはずだと考えているのですね。神経質者がこのようなことを求めて、いくら森田理論を学習したとしても無駄な努力に終わってしまいます。そもそも治るという事は、内面が良くなったとかというのではなく、生活態度の改善が図られたということをいうのです。それはその人を第三者から客観的に見ているとよくわかります。神経症で悩んでいた頃に比べて、仕事に一生懸命取り組むようになった。勉強もそうだ。家事や育児もそうだ。好奇心を生かしていろんなことに挑戦するようになった。課題や目標を持って少々の困難を乗り越えて頑張れるようになった。心の中では様々なことに悩み、不安や恐怖に押しつぶされるようなことが度々起こってくるが、それらを持ちながらも生活面では、以前と比べて少しずつだがかなり改善できてきた。そういう変化が見られるようになったとき、その人は神経症を克服したといえるのである。決して精神的な苦悩や葛藤がなくなったということではありません。神経症を克服した姿というのを間違えないでいただきたいのです。もう一度言いますと、内面が良くなったと言うのは、間違いであり、それをもって神経症を克服したということは考えられないことなのです。あくまでも普段の生活態度の改善が中心になるのです。(森田療法ビデオ全集 第4巻 悩める人の生きるヒント 阿部亨 参照)