愛着障害を乗り越えるために
岡田尊司氏のお話です。不幸にも母親から十分な愛情や世話を与えられずに育った結果、貧弱で不安定な愛着しか育まれないと、ストレスに敏感で傷つきやすくなり、人との関わりに苦労するだけでなく、配偶者との関係や子育てといった、もっとも密着した関りを要する関係においても困難を生じやすい。では、不幸にも親の愛情に恵まれなかった人は、不安定な愛着を抱え、一生苦しまなければならないのかと言えば、そういうわけではない。拙著「愛着障害」や「母という病」で述べてきたように、それは克服していくことができる。克服の方法の一つは、親とは別の第三者から安定した愛情や世話を受けて愛着の傷を癒し、安定した愛着を取り戻すことだが、もう一つの方法は、自分自身が愛情や世話を特定の対象に与え続けることである。(真面目な人は長生きする 岡田尊司 幻冬舎 207ページ)対人恐怖で苦しんでいる人は、他人への信頼感が持てない人である。それは生まれてから3歳くらいの間に母親との間に愛着の形成ができなかったのが原因の一つだといわれている。特に0歳から1歳6か月の間は母親が四六時中目を離さないで世話をする必要がある。不快なことがあれば、泣き叫ぶと母親が飛んできて、それを取り除いてくれる。母親は子どもの安全基地、母港として機能する必要がある。しかし不幸にして、愛着の形成が不十分で終わってしまうと、その後の人生は人間関係につまずくことになる。しかし岡田尊司氏は、克服することが可能だといわれているのである。1、親以外の人から人の援助を受けて、安定した愛着を取り戻すことです。私の場合は、生活の発見会の先輩会員の方でした。その方の特徴は、自分のことを非難されたことは一度もありません。私が実践課題の発表をすると、いつも励ましてくださいました。私の話をよく聞いてくださいました。アドバイスというよりは、自分が森田を学習して感じたことや生活の中で応用している話をしてくださいました。いつもにこやかで、話し方がとても柔らかい人でした。私は集談会の時は最初の頃はその方の側に近づくようにしていました。素晴らしいオーラがあり、参加者全員が一目置いていました。1ヶ月に1回しか会いませんでしたが、会社の中での人間関係や仕事の進め方で困った時は、今度の集談会で相談に乗ってもらおうと思っていました。いつもお会いしなくても、心の支えになってくれる人を持っていると安心感があります。今思うと私には、集談会の先輩が心の安全基地の役割を果してくれていたのです。ありがたいことで、それを思うと涙が出てきます。2、自分が他の生き物に愛情を与え、世話をしていくことです。親や配偶者や子供に、適度な距離を保ちながら、目を離さないようにする。何かあった時は積極的に手助けする。私の場合は集談会に参加し始めて6か月くらいから世話活動をしてきました。最初は図書係でした。その後はいろんな役割を経験しました。人の為にやっていたことが、不足していた貴重な社会体験の場になりました。それが広がって、町内会、マンションの管理組合の役員もしました。会社では中間管理職として部下の指導をしていました。しかしこれはうまくはいきませんでした。今考えるとマネージメントについて無知だったからです。管理職としての学習機会がなく自己流でした。仕事ではマンションの管理人のとりまとめもやっていました。これはみんなから頼りにされていました。頼りにされるとうれしいものです。趣味の会でも積極的に役割分担を果すようにしてきました。ペットでは、金魚やメダカを飼いました。水を替えたり餌やりをします。今はメダカがいるので何日も家を空けることができません。その他、自家用野菜の手入れをしています。現在は夏野菜も終わりに近づき、秋冬野菜の切り替えの時期です。水やり、土つくり、輪作体系、酸度調整、雑草退治、病虫害の予防、土寄せ、誘引、芽かきなど世話をすることがいっぱいです。世話をすれば野菜が応えてくれます。これらも愛情をかけ世話をすることにつながっているのではないかと思っています。このブログは、森田で救われ、神経質者の人生観を確立できたので、そのお返しのつもりで取り組んでいます。毎日1000人以上の人からのアクセスがあり、少しはお役に立てているのかなと思っています。今まで多くの人のお世話になってきました。今後は自分にしてもらった以上のことをしてお返しをしたいと思っています。それらが私が抱えていた愛着障害の克服につながっていたのだと思います。