福島原発に思うこと
今日は東日本大震災から2年目だ。福島原子力発電所の廃炉には今後40年かかるそうだ。汚染水の保管のため3mのタンクがたくさん作られていた。それでも3年で満杯になるという。2013年2月11日のNHKスペシャルで、原子力発電所の再処理核燃料問題が暗礁に乗り上げていると言っていた。それでもなお安全性が確認された原発から再稼働させるという。森田理論を学んだものとしてやりきれない気持ちになる。森田では人間にはコントロールできることと、コントロールできないことがあるといいます。コントロールできないものとは自然現象である湧き出た感情などです。コントロールできるものは、自分が手を出すことによって将来明るい展望が開けるもの、人のためになることです。これらは不安に学んで積極的に手を出さなければなりません。でもそれ以外のことは、自然に服従するということを学びました。原子力発電所を稼働させると、高濃度の放射能を発生させる廃棄物ができるという。これを青森県六ケ所村に運んで再処理して核廃棄物と再利用できる燃料に分離して処理するという。核廃棄物は永久に保管するようにするという。再利用できるものは、元の原発に戻して使う予定だったという。ところが六ケ所村でトラブルが相次ぎ稼働に至っていない。そのため各原発には再処理予定の核燃料棒が山積みになっているという。にもかかわらず政府は安全が確認された原発は再稼働させるという。再処理予定の核燃料棒の処理は棚上げにしたままである。こんなことが許されるのであろうか。我々の世代が電気の利用の恩恵を最大限享受するために、問題を先送りにしているのである。将来世代にとっては大変迷惑な問題を抱えることになる。世界各国は、人間がコントロールできない核燃料の利用に手を染めている。これは自然はすべて人間のコントロール下にあるという思想でないだろうか。人間のおごりがあるのではないだろうか。現代人は未来に生れてくるであろう子供たちに顔向けができるのであろうか。我々は感情を意のままにコントロールしようとして神経症になりましたが、その反省の上に立って、自然に服従することの意味を、少しは発信してもよいのではないでしょうか。