相手の言動に異を挟みなくなったとき
私が以前勤めていた会社でこんなことがあった。会議の資料をある人がホッチキスで閉じていた。渡された資料を見て驚いた。普通はページをめくりやすいように斜めにホッチキスで止めてある。ところがその資料は、閉じる位置を考慮することなく逆向きに閉じてある。ページをめくるときに違和感がある。というよりも不愉快になる。そう思っていたところ、上司がその人に次のように言った。「あなたには他人への配慮が足りない。社会人としての常識から教えないといけないな」すると、彼は烈火のごとく怒りを爆発させた。その場が一瞬で凍り付いた。これは相手が普段気にも留めていないことを取り上げて、注意されるものだから、急に腹立たしくなったのである。カーネギーの言葉に「盗人にも3分の理がある」という言葉がある。殺人事件を起こすような人も、「あの時はそうするしかなかったんだ」という気持ちを持っている。だから相手の非を一方的に責めても、火に油を注ぐことになってしまう。相手の間違いや問題点を指摘したくなったときは、まずその気持ちをぐっと抑える。そして十分時間をとって相手の気持ちや言い分を聞いてあげることだ。対人関係の中には、相手の言動に異議を挟み、反発したくなることが日々山のようにある。そんな時に売り言葉に買い言葉で反射的に対応する人も多い。相手の気持ちや意見を価値批判しないで、素直に聞いてあげることが必要である。そして「そうなんですね」「なるほどそういうことだったんですね」という言葉で一旦間をとることだ。ここで肝心なことは、相手の発言にすべて同意して、言いなりになることではありません。相手の話をとりあえず受けとめましたということなのだ。相手の気持ちや言い分を価値批判しないで、正確に分かろうとしましたということなのだ。ここがポイントなのである。多くの人がやろうとしてもできていないことなのです。十分に相手に吐き出させた後は、自分の気持ちや意見を述べることになる。その時は、「あなたメッセージ」ではなく、「私メッセージ」で発信するように心がけたい。「この留め方ではめくりにくいね。次回からはめくりやすいように留めてくれるとうれしいのだけどね」心の中では、「非常識なとんでもない人だ」などとと思っていても構わない。でもそれを口に出すのはもっと大人げない。自分の素直な気持ちや意見を伝えて、相手がどんな反応を見せるのかはコントロールできません。コントロールしようとすることは「かくあるべし」を押し付けることであって、人間関係は悪くなります。もし相手が「カエルの面に小便」のような対応をとれば、その程度の人間だと見切りをつけるしかないのです。「不即不離」の応用で必要最低限のお付き合いをするだけで十分です。