熱海の森田旅館の開業について
森田先生は熱海で旅館を経営されていた。そのいきさつを知らない人は、精神科医が儲けたお金でさらにお金儲けをしようとしていると非難する人も多かったようだ。確かに森田先生の所の初診料や入院費用は、とても高くて、経済的に余裕のある人以外はいけるようなところではなかった。もちろん今のように保険診療ではなく、自由診療だった。初診料8円。入院費1日4円。今でいうと、初診料8万円。入院費1日4万円ぐらいにあたる。しかし、森田先生はそのお金を自分のために使われるという事は考えられてはいなかった。そのお金で形外会の会場となる自宅を建て替えられたり、余分なお金は慈恵医科大学に寄付をされたり、故郷の学校の講堂をを建設するために寄付されている。ご自分はプライバシィがなく、服装も粗末なもので、せんべい布団に寝ておられていたという。熱海の森田旅館という旅館の経営も元はと言えば人助けから始まっている。森田旅館は元々は伊勢屋という旅館であった。森田先生は伊勢屋という旅館を知られたのは、入院生の浦山さんからであった。昭和2年7月のことです。この浦山さんの親戚が伊勢屋旅館であった。ところがその後昭和6年暮れに伊勢屋に避寒に行ったところ、畳はすっかり真っ暗になっていた。森田先生は早速、自費で畳の表換えをさせた。そのようなことから、伊勢屋と懇意になった。昭和7年2月、また避寒に訪れたところ、突然伊勢屋のお婆さんが泣きついてきた。今、 5日以内に1,500円のお金がなければ、 10人の家族が路頭に迷わなければならないという。その時に森田先生は、ついうっかりと「浦山君から頼まれるればともかく、だしぬけにそのようなことを言われても、どうすることもできない」と言われた。するとおばあさんが連絡したのか、突然大阪にいた浦山さんが熱海にやってきた。そのようないきがかり上、森田先生も仕方なしにそのお金を出すことになった。弾みがついて、昭和7年5月200坪の地所を銀行から引き取ることになり、引き続いて、今度この新築ができたのである。このお金は、森田先生の国元の母や親戚の金を寄せ集めたり、銀行から借金したりして、ようやく整えたそうです。そして昭和7年12月31日開業にこぎつけたのである。この旅館は入院生であった井上常七さんを支配人にして経営に当たらせている。儲けようという気持ちはなく、料金を安くして、しかも料理を豪華なものにした。そのため、宿泊客が多く盛況であった。宿泊客の中には慈恵医大の学生などもあった。森田先生も入院生や元入院生などを引き連れてたびたび訪れている。形外会も熱海で行ったこともある。その費用も1部森田先生が負担をされたりしている。つまり神経症で苦しんでいる人たちのオアシスの場となっていたのである。私利私欲に目がくらんで旅館経営にまで手を広げていったというのは全くのデマである。(森田全集第5巻 299ページより引用)