事実に向き合うことの難しさ
森田では「かくあるべし」を少なくして、事実や現状に立脚した生き方を目指しています。これは言うは易く、実行は難しい。どうして難しいのかを考えてみたいと思います。1、私たちは不快な事実、不都合な事実に正面から向き合おとしない。目の前の事実を、ありありと、あますところなく見ようとしていない。ありありとというよりも観念的に見てしまう。あますところではなく、その一部をもって、全体を理解しようとする。目の前の事実よりは、今までの記憶や経験で安易に分かったつもりになってしまうということです。それで事実を正しく見たつもりになって対応しているということです。2、自分の都合で状況を見てしまう。人間は本能的に自分の持っているイメージに合わせて対象を見ようとする。つまり自分の合わないものを、意識的、あるいは無意識のうちに無視したり、切り捨てたりする。つまり色眼鏡をかけて事実を歪曲してしまっているのです。3、不安や恐怖、不快な事実から「遠ざかろう」とする。人間は誰でも、困る問題を見たり、聞いたり、抱えたりすることを避けようとする。それはまずいと思いながらも、「見ざる、言わざる、聞かざる」になっている。4、問題ある事実をもみ消そうとする。現れている現象は氷山の一角、その下にはそれらを生みだす原因ががっちりと根を下ろしていることを察知しつつも、とりあえずは「臭いものに蓋をする」という「モグラたたき」に走ってしまう。不都合な事実は、それを正確に知ろうとするよりも、その不都合な事実がなかったものとして細工しようとする。5、事実をごまかす。言い逃れをする。隠す。責任逃れをする。これらが習慣となっていて、とっさに言動となって表面化する。(人間力をフリーズさせているものの正体 藤田英夫 シンポジオン 201ページより要旨引用)事実本位の生活態度を身に着けたいと思っても、実際には周りを敵に囲まれたような状態になっているということです。ですから「はい、分かりました。今日からそうします」というわけにはいかないのです。ただ森田理論をコツコツと学習している人は、その重要性には気づかれていると思います。あとはどこから手をつけていくかということです。先入観や決めつけで事実を分かったつもりにならない。事実をごまかす。言い逃れをする。隠す。責任逃れをしないようにする。事実をより詳しく観察して、事実の裏付けをとったものを大切にして行動する。抽象的な話を避けて、具体的に話するようにする。包み隠さず、赤裸々に話すことを心がける。相手の話をよく聞く。自分の考え方に、事実誤認がないか謙虚な気持ちで周りの人に聞いてみる。「かくあるべし」が出てきた時は、「純な心」に立ち戻るように心がける。「あなたメッセージ」から「私メッセージ」の発信に心がける。これらは、取り組む気持ちがあれば、実行可能なものです。この中のことが1つでも習慣になれば、事実本位に近づいているといえるでしょう。