自殺すると・・・
自殺すると・・・自殺すると・・・ ←朗読です 平成29年の10月に報道された神奈川県座間市のアパートで起きた9人もの人を殺して遺体をのこぎりなどで切断してクーラーボックスに入れて自宅に遺棄していた男の事を覚えているだろうか? SNSで自殺願望のある人を誘い出し、自宅で殺害したあの男の事を。その男は自分に殺されればすぐに裕福な家庭に生まれ変わり、その後幸せな人生がおくれる、と被害者たちに話していたようだ。 話は少しそれるが「核家族化」これは、昭和30年代後半に流行語になったほど、急激に進んだ現象だ。それまでは家族と言えば「サザエさん一家」のように祖父祖母と孫が同居する3世代で暮らしている家族が多かったようだ。私も子どもの頃は祖祖父母と祖母そして両親と私の4世代だった。両親はその頃は少なかった共働きだったので、その分祖母からいろいろな事を教わったように思う。「悪いことをすると地獄の閻魔王様に舌を抜かれる」とか・・・。子どもの私には衝撃的な事が多かった。 今は核家族が標準で共働き世帯も昔より増えている。子ども達はお祖父ちゃんやお祖母ちゃん達と話す機会が減り、働き方改革により保育園が充実して、学童保育(児童クラブ)も最近では小学6年生まで預けることが可能になった。0歳保育から12歳までほぼ毎日朝から晩まで子育ての丸投げが可能な時代になったのだ。その上、子どもを施設から引き取り、一緒にいる時間も昔はテレビを見て家族全員で同じ番組を見てお互い感想を言ったりして「へー、お父さんって、こんな事を考えていたんだ!」なんて気づかされる事等もあった。でも今は一緒にいてもスマホやタブレットでそれぞれ違うものを見て、親子で語り合う場も減ってきている。子ども達に「なぜ悪いことをしてはいけないのか?」「人は死ぬとどうなるのか?」そんなとても大切な事を話し合ったり考えあったりする時間・機会も以前に比べると激減している。ましてや、子育て世帯の10世帯のうちの1世帯以上が片親世帯となっているらしい。そんな中、誰が子ども達に大切なことを考えさせることが出来るのか。保育士や学童保育の支援員にそれだけの力がある人に巡り合えればそれは幸せだ。しかし実際はどうだろう?保育士同士のパワハラやいじめ等の人としてそんな許されない人達が保育士をしているというようなニュースが報道されている。 学校ではどうなのだろうか。学校教育の中では死後の世界の話はタブーになっている。何故なのか?死後の世界を語ることはある特定の宗教を語ることに繋がる可能性がある。それなので道徳の時間でも死後の世界を語ることが出来ないらしい。 こう考えてきてみると子ども達が人として1番成長していく上でとても大切な時間にその大切な事を問題提起して考えさせる場、時間、機会がほとんどないのである。これは将来の日本にとってとても危機的な事であると思う。働き方改革で子ども達の数は、少しは増えているのかもしれない。しかし、子どもの質はぐんぐん落ちているように思える。いくら数が増えても質が落ち罪を犯す人が増えてしまえば決して望ましい社会ではない。 私はいろいろな所で、書いたり話したりした事があるので知っていく方も多いと思うのだが45歳の頃体調を崩して、いろいろな病院で検査して、最終的に霊能者の方に助けてもらった経験がある。それまでは死後の世界の事を考えることは嫌で、死んでしまえば「無」になると思っていた。しかしその経験から死後の世界を信じることが出来て「生きる目的は魂を磨くこと」と確信することができた。生まれてきたことに感謝してご先祖様、守護霊様、背後霊様方に感謝する。そしてすべての出来事に感謝する。それが幸せになる事だと悟れたのだ。これは体調を崩し自殺まで考えた事があったからこそ悟ることが出来たのだ。だから今思えばその体調を崩し苦しんだことすら「感謝」に値する。 今、この体験を通して子ども達に語る活動をしている。と、言っても私の勤める小学校内にある施設と、その小学校の朝の読み聞かせの15分ほどの時間だけなのだが・・・。子ども達は大人に比べてとても素直で、話をするととても真剣に聞き受け取ってくれる。「死後の世界」についても素直に受け止めてくれる。私は怪談を通してこんな風に語っている。宜しければ約15分なので是非聞いて頂きたい。内容は人がまっとうに人生を終えれば、例えば90歳まで最後まで生きれば死ぬ時にあの世からお迎えがきて安らかにあの世に連れて行ってくれる。しかし、10歳で首つり自殺をしてしまうとまだお迎えが来ていないのでお迎えが来るまでの80年間首を吊ったままその場で苦しまなくてはならない。そして80年後お迎えが来て連れて行ってくれるところが「地獄」・・・。このような内容だ。 このような私の語りは、もしかして学校の先生がしたら問題になるのかもしれない。しかし、部外者の1ヵ月に数回しかい来ない者にはあまり制限が付けられないことだと思う。その上私は一つの宗教に通じているものではないので、偏った語りはしていないと自負している。中高年の自殺は少し減ってきているようだが、子ども達の自殺は今だに減ってきていないようだ。私の語りで少しでも多くの子ども達が自殺を思い立って欲しいと切願している。 話がそれてしまったが子ども達が自殺を考える理由のうち一つがゲームの中にあるように思う。ゲームの主人公は苦しい場面に突き当たり、切羽詰まった状況になるとリセットボタンを押すとそれまでの経験値は0になってしまうがまた新しく生まれ変われる。そしてまた新しくスタートできる。そんな感覚で自分の命を絶ってしまうのではないのだろうか? 自殺しても絶対に楽にはならない。自分で自分を殺すという行為はとても重い罪だ。どんな事があっても自殺してはいけない。 人生はどんな辛い時もどんなに楽しい時も必ず過ぎてしまう。それが人生なのだ。その辛い時、楽しい時、そしてその全てを「感謝」して魂を磨くことが人生の目的なのだと思う。 令和元年 12月