キャバリアのナナちゃん、メモリアル。
叔母の葬儀が終わりました。もう病院にいないと思うと逆に、叔母の家に行ったら今も愛犬のナナちゃんと叔母が元気に暮らしているような気持ちになってしまって、「ああ、もういないんだ」と思い直して急激に寂しさが募ってしまいました。叔母とナナちゃんが広場で走ってる写真があったなぁと思って探してみたらいろいろ出てきました。チワワの小太郎とキャバリアのナナちゃんはいつでも微妙な距離感。最初は怖がっていた小太郎も、だんだんと慣れてそばにいても平気にはなったんですが、最後まで仲良く遊ぶという仲にはなりませんでした。ま、これが小太郎なりの「犬づきあい」なんでしょうね。最初は「遊ぼう」と誘っていたナナちゃんも、小太郎が遊び仲間にならないと分かると適度にスルー。それなりにいい関係だったのかな。。。「違うと思う(by小太郎)」叔母の闘病生活は最初のガンの手術から数えると4年に渡りました。抗がん剤治療や何度かの手術で、退院してしばらく元気に過ごしてまた入院してという繰り返しでした。今年の1月に入院してからは一度も自宅に帰れず、可哀想でしたが、その間にナナちゃんが亡くなりました。叔母にはナナちゃんが亡くなったことを伝えていませんが、今頃、天国(虹の橋かな)で再会して、ナナちゃんが叔母の道案内をしてくれてることでしょう。お葬式は、お寺の方針で、なるべくお金をかけないものでした。それでも質素という感じでもなく、お寺の本堂でお花にかこまれて、よいお別れの式でした。戒名に「慈孝」という字が入っているのですが、これがとても叔母に合っていて、よい戒名をつけてもらったなと思います。住職さんが3日間考えてつけてくれたそうです。本来の仏教の形に戻したいという思いがあるそうで、このお寺では戒名代も墓代も葬儀代も安いです。逆に、あまり過度に豪勢にしようとすると住職さんにたしなめられてしまいます。静かに故人とお別れするのが本来の趣旨ですから、そのほうがいいと思います。こういうお寺がもっと増えるといいのにな。宗派の関係もあるので誰でもこのお寺に葬儀を頼むというわけにもいきませんし。母は叔母と一番近い関係で、入院に付き添ったりもしていたので複雑な思いがあったようですが、通夜の前に「納棺して箱に収まったら少し安心した」と言っていて、今日の収骨でも「骨になっちゃったね」と諦めがついたようにつぶやいていました。こうやってひとつひとつの儀式を経て、気持ちの折り合いをつけてゆくのだなぁ、そのための葬儀なのだな、と改めて思いました。少しずつ悲しみが薄れていって、また日常に戻って、生きてるものは元気に日々を過ごさなきゃいけませんからね。さて、そんなわけで、今日もチワワの小太郎と散歩に行ってこよう。