ガン告知のウソとホント
なんだかまた夏がぶり返してきたみたいな変な暑さです。湿気が多くてダルダルしています。チワワの小太郎、広場で走りました。久しぶりだったからか、ものすごい勢いで走ってました。イヌリンピックで去年のリベンジするつもりなんでしょうか。今年は行く可能性低いですよ…。さて、昨日の続き。「医者が癌にかかったとき」という本の話です。ガンで亡くなった恩師や同僚、知人の医師たちの最期を綴った章では、カルテを書き換えたり検査結果をごまかしたりして本人に本当の病状を知らせないように工夫を凝らす様子が克明に描かれていました。医師でありながら自分の正確な病名や病状を知らされずに亡くなっていった方々がひどく気の毒に思えてなりませんでした。が、著者としてはそれが正しくて(時代的な背景もあるでしょうが)、本人のためにもよかったと信じている様子。告知することで、落ち込むよりは少しでも希望を持たせたまま最期を迎えさせたいというような気持ちなのでしょうか。私だったら、そんなの絶対に嫌。人間ってそんなに弱くないと思うのです。確かに、ものすごく落ち込むかもしれないけれど、そのあとは死を受け入れて、こころ安らかに過ごせるのではないでしょうか。最期まで癌なのかどうかを疑って、余命を知らされずに自分は死ぬのか死なないのかもわからない状況なんて耐えられません。それって希望じゃないですよ。余命がいくばくもないと知ったら、その間にやりたいこともあるだろうし、言い残したいことや、会っておきたい人だっているかもしれません。それができずに、死の間際になってやり残したことをあれこれ思い浮かべるなんて、悔やんでも悔やみきれない。確かに、告知をしないほうがいい患者さんというのもいると思うのですが、落ち込むんじゃないかと勝手に思いこんで告知しないなんてまさに“医者の都合”。実際問題として、落ち込んだ患者さんのメンタルケアまで手が回らないということなんでしょう。ある会社経営者の患者さんから死ぬ前に仕事の整理をしたいからと余命を訪ねられた著者は、“思いやり”から長めに見積もって「うまくすれば一、二年」と伝えたそうです。ところが、その患者さんは別の病院では3ヶ月と言われたらしいです。結局、その方は6ヶ月後になくなられたそうですが、はたして、こういう患者さんに余命を長く見積もって伝えることが本当に“思いやり”なんでしょうか。この方は、他の病院で言われた3ヶ月を一区切りと思って死ぬ前の整理をしたのでしょうから、悔いはないと思いますが、一年と思いこんでいたら残りの6ヶ月でやろうと思っていたことができなくて悔いが残ったのではないかと思います。著者は、3ヶ月と伝えた医師を非難していますが、実際よりも長く見積もったウソの余命を伝えるほうがより残酷なような気がします。もちろん、医師が正確に余命がわかるわけではないのですが、診断所見から判断した余命に水増しして多めに伝えることが必ずしもいいことではないと思います。しかし、当時は告知すること自体がまれだったようだし、これが普通の“思いやり”深い医師の考え方だったのかもしれません。この本、(15,6年前の)癌を取り巻く医療の現場やガン患者を診る外科医の心情を知るという意味ではとても示唆に富む内容なのですが、著者に患者として診てもらいたいかというと私は遠慮したいなぁ。腕はいいのでしょうが、なんでも、事実をありのままに伝えてもらいたい患者としては、あまり相性が合わなそうです。診断結果を医師の都合や“思いやり”で変に脚色しないでもらいたいです。「がんから始まる」の著者でエッセイストの岸本葉子さんは、ご自身が癌になったときに竹中医師に相談にのってもらったらしいです。岸本さんに告知するときにも竹中医師は「癌」という言葉は使わず、それとなくわかるような言い方をされました。岸本さんはそれを善意に受け取ったようです。本で読むのと実際にお会いするのとでは全然違うと思うので、竹中医師ご本人はとてもお優しい方なのかもしれません。こういう医師は、できれば、あまり赤裸々に告知はしてもらいたくない、という患者さんにはいいのかも。医者にもいろんなタイプがいて、特にガンは生死にかかわる場合も多いだろうし、告知というデリケートな問題もあるから医者との相性というのは重要だと思います。私はなんでも正直に客観的なデータを示しながら説明してもらって、自分で治療法を選びたいタイプなのですが、人によっては、自分で判断できないから治療法を医師に決めてもらいたいという方もいるでしょう。要するに医者との相性というのはそういうところなんでしょうね。自分と近い考え方、または自分の考え方を理解してくれる医師と出会えるかどうかということも、病気の治療がうまくいくかどうかを左右する要因になるような気がします。告知に関して、精神科医の星野仁彦医師は「抗がん剤拒否のススメ」という本の中で、日本のガン告知は「かなり無造作に行われているように思える」と書いています。私自身も、告知はして欲しいけれど、実際に告知されたときに一時的にパニックやうつ病にならないという確証はありません。「アメリカではがんはほぼ100%告知されているが、告知したあとに患者のメンタルケアやカウンセリングを行うシステムもしっかり確立されている」のだそうです。日本の医療の問題点はここです。自分が膠原病になったときも思ったのですが、ガンの治療も身体的な治療と同時に、メンタルケアも行ってくれるようなシステムがあったら、もっとスムーズに治療が進むのではないでしょうか。告知する側の内科医や外科医の負担も減るでしょうし、患者さんの健全な精神状態が保てれば治療にも前向きに取り組んで治療結果もよくなるような気がします。ガン治療中の叔母二号も、医師からすべての説明を聞いているようです。しかしやはり多少は精神的に不安定になります。あたりまえです。自分の生死がかかっているのですから。素人がいきなり医学的な説明を聞いても理解するのに時間がかかるということもあるでしょう。実際に受けるかどうかは別にしても、いざというときにメンタルケアをしてくれるという安心感があるのとないのとでも大違いという気がしました。叔母二号は今はとっても元気で、病院でも「元気ねぇ」と言われているらしいですが、それってたぶん、治療中だからなのでは。治療が一段落したときに、いろんな不安が一気に襲ってくるんですよね。そのときが怖いです。がんから始まる↑40歳、独身女性ががんになったとき…。人ごとじゃないよ~、って思いながら読みました。医者が癌にかかったとき↑医師の視点からの医療現場の様子がよくわかります。まだ半分しか読んでませんが。末期がんを克服した医師の抗がん剤拒否のススメ↑この本で紹介されている星野式ゲルソン療法という食事療法がいいかどうかはわかりませんが、癌にならないうちに低塩、低脂肪、野菜中心の食事に変えるというのはいいことです。精神科医から見たの癌医療についての見解も興味深いです。