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テーマ:株式投資日記(20525)
カテゴリ:経営コンサルタント
今日は日本から見れば非常にニッチな話題を 5月26日、豪州第4位の銀行、ウエストパック銀行(Westpac:WBC)は、同5位のセントジョージ銀行(St. George:SGB)を株式交換により合併すると発表、SGB側も合意したと発表された(A$196億ドル、1A$99.15円で1.94兆円)。この合併が成立すれば新生ウエストパック銀は豪州トップの銀行に躍進することになります。 (最初にこれを書いたのが少し前なので為替等数値が若干ずれている可能性があります) オーストラリアの経済と銀行業界 オーストラリアの経済は、ここ数年「資源バブル」の恩恵を最も受けているといってもいいのではないでしょうか? 鉄鉱石、ウラン、石炭、ボーキサイトなどの鉱物資源の世界有数の生産国であり、後背地に中国、インドを控えている資源輸出国家だ。BHPビリトンもRioティントも主要鉱山のかなりが豪州大陸にあります。
上記はOECD各国のGDPを2000年=100とし、2000年の為替レートで表したものを指数化しました。日本はこの7年間で11%の成長、米国は18%に対し、豪州は26%と成長率の差が大きい。もっとも豪州全体のGDPは日本のそれの約10分の1程度です。 この成長に乗って、豪州株式市場も活況を呈しています。
という仮説の元に調べたのが上のグラフです。過去5年間の株式指数をさらに2003年=100とした指数の推移です。仮説とは裏腹に実は日経225は昨年までは豪州を上回るパフォーマンスだったのですね。これは意外。 ただし2003年5月の日経平均は8,106円(月足、以下同じ)だったので、どん底だったという点を考慮しなければならいでしょう。豪州株式市場は資源高の恩恵を受け、相対的に好調を持続しています(なぜかサブプライムの震源地米国が堅実に推移しますね。これじゃ日本はまるで新興国並みのボラティリティだ)。
豪州銀行業界は長い間「4強体制」が続いていました。以下の4行です。長らく政府から「4本柱」政策として、4強間の相互合併を認められていませんでした。それがこんな感じになりそうです。
FT5/13日の資料より筆者作成 コモンウエルス、ナショナルオーストラリア、オーストラリアニュージーランドの他の3行に頭一つ抜けそうです。単純合算した時価総額A$638億ドルは1豪ドル99.15円で換算すればなんと6.3兆円です。この6.3兆円のインパクトを言いますと、日本のみずほFGの23日の終値ベースで約6兆円なので、うそお? みずほとほぼ同レベルなの? というすごさ(ちなみに三井住友も6.6兆円程度、ヤフーファイナンス5月23日より)。 豪ドル高、豪州経済の好調さ、邦銀の凋落という条件が重なっていますが、今まで豪州銀なんてほとんど「地銀」だと思っていたのに・・・。
日本人にとってはダメ押しな情報ですが、今回のM&Aで豪州銀行業界の再編なるか? とうわさされています。つまり「4強」同士の合併もありだ、という雰囲気が豪州当局内にも出てきているといわれています。外国からの買収にさらされないようにという側面もあるようです。その場合MUFG並みの銀行が誕生する可能性もあります(合併後の時価総額10兆円規模)。 なお、当ディールは5月12日に第一報があり、26日にデューデリジェンスが完了し、当初条件どおりで合併合意が確認されたとのことですが、SGB株主からやや価格に不満があったりしますので、若干流動的な面があります。
さて、前置きがものすごく長くなったのですが、このディールが成立するとみずほの前田さんと肩を並べるこの女性が今日のテーマ。 WBCの新CEO Gail Kelly氏は就任3ヶ月でこのディールを纏め上げたそうです。電光石火の早業である。これだけでもすごいのだが、なんとこの人、WBCの前職はSGBのCEOだったという。買収企業のCEOは実は被買収企業の前CEOだったということです。しかも、CEOからCEOに移る間には間がありません。 WBCの取締役会は、数ヶ月前に新任のCEOを決めるときに複数の候補者の中から選んだとされており、内部昇格者と外部招聘者の選択があったのですが、議長は外部だった彼女を指名したようです。多分彼女には指名前からこのディール構想があったのかもしれません。しかし、このスーパーウーマンはこれだけでスーパーではありません。
彼女は1956年、南アフリカで生まれました。ケープタウン大学では美術や歴史の学位をとったそうです。1977年に軍人の男性と結婚し、モザンビークに従軍する夫に従い当地ではラテン語の教師をやることからキャリアがスタートしました。 南アに帰国後も高校教師などをしていましたが、80年代中ごろ、ついにNedcor銀行というところで働き始めました。最初はテラー(支店の窓口担当者)だったという。しかし、銀行は彼女の才能を見抜き、MBAプログラムへ派遣しました。1987年にはかなり優秀な成績で卒業するとともに、長女を儲けたようです。 1990年、銀行は彼女を人事部長(日本の銀行の人事部長とはかなり違うと思うが)に抜擢しました。同時に三つ子を生んだらしい(これで4児の母となりますね)。 ただし94年には南アではネルソン・マンデラ政権が樹立され、それを境に治安の悪化等が叫ばれ、彼女も1997年についに豪州の地を踏むこととなりました。 豪州4大銀すべての受験をして、第一位のコモンウエルスバンクに同年Strategic Marketingのゼネラルマネージャーとして迎え入れられる。2002年にはカスタマーサービスの統括責任者に昇進した。 いかし、2002年彼女の力強いリーダーシップにほれ込んだSGBからついにCEOとして迎え入れられた。当時のSGBはコモンウエルスの買収ターゲットとなっていたというから驚き。 積極的な業容拡大でこの追撃を退け、2003、4年と豪州の地元では「最も活躍した銀行役員」に選出されたそうだ。 2005年にはコモンウエルスからCEOで帰ってこないか、という提案があったにもかかわらず、SGBに残留したそうだが、この時SGBが彼女に支払った報酬はなんとA$18.5百万ドル(18.3億円!!)。是が非でも引き止めたかったのだろう。同時に「豪州で最も高給取りの女性」にもなったそうだ。 そしてウエストパック銀のCEOに2月から就任したという(以上、FT紙、ウイキペディアより)
実はヒューレットパッカードの元CEO、カーリー・フィオリーナさんの自叙伝(「私はこうして受付からCEOになった」村井章子訳、ダイヤモンド社)を読み終えたばかりなのですが、フィオリーナさんも1954年生まれなのでKelly氏と同世代です。 フィオリーナさんは80年代当時(松田聖子の全盛期時代ですね)の米国ビジネス界の男尊女卑の中を持ち前のバイタリティで出世されるのですが、アメリカですらこんなものか?と思ってしまうほど当時はまだ女性の社会進出は難しかったといえます。 何が言いたいかといいますと、Kellyさんも同じようなバックグラウンドが合ったはずだろう(多分南アだと米国よりも保守的じゃないか)と、その中で出世街道を驀進していること、複数の国、銀行で能力を認められていること、4児の母(3つ子は大変そう)とフィオリーナさん以上の逆境の中、誰からも高い評価を得ていたことになります。 名実とも豪州銀行業界ナンバーワンの座に王手がかかりました。この合併を成功させると、みずほのCEOもやりませんかね(邦銀じゃ彼女の給与出せないかな)。 フィオリーナさんの自叙伝は内容を当ブログでも紹介できればと考えています。結構刺激的ですよ。
番外編
日興コーディアルのHPから 日米株価指数の20年単位での推移を見てみますと、上記のとおりとなります。88年は日本はバブル経済の真っ只中、米国は高金利、高軍事費、徐々にホームレス等治安が悪化していた時期でした。 日本のバブル期はやや異常かもしれません。ではどの時期から比較するのが妥当なのかはわかりませんが、株式市場を見る限りでは日本人が好んで使う「長期安定成長」という言葉がしっくり来るのはどちらか一目瞭然です。 これが為替レート、システミックリスクからくるボラティリティなのか、証券会社の営業方法を含めた日米の市場全体の効率性か、貯蓄好きな国民性から来るものなのか、日米半導体協議などいざとなれば政治に屈した業界もありました。原因は様々でしょう。 もちろん、日本にはエクソンモービルとかの資源メジャーのような企業は存在しませんし、自動車業界のように米国ではフォードやGMといった個別企業ベースでは凋落している企業もありますが、全体的には長期的な企業業績も安定していて、かつ、投資家と企業の情報距離が短い(エージェンシー問題が日本より小さい)といった事情や、業績を安定成長させるための手段や社会的な基盤なども進んでいる(要するにリストラがやりやすい)といった状況もあるのだと思います。 しかし、それでもこれだけはっきり差が出てしまうのは、本当に日本の経営者が長期安定成長を目的として経営していたのか、と科学的に見直す機会を与えているような気がします。 結果としていままでやってきた方法がそれまでの時代では通用してきたのか、そういう着地を仮説付けて取り組んできた(つまり戦略的な経営をしてきたのか)のか、考え直す材料になるかもしれません。 ちょっと横道にそれましたが、スーパーウーマンに今後とも注目していきたいです。
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Last updated
2008/06/02 01:45:26 AM
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