にへらアル!~言語論序説~ vol.6
現実逃避の日記なのか、もしくは廃人暮らしの記録であるのか。 それでは最後に、言葉の中に潜む魔物を追い払うため、自分の場合はどんな手段を用いるかについて記しておく。 3つの柱がある。 対象と自らの立ち位置を明確にすること。 修辞法、つまりはレトリックを多用すること。特に直喩ではなく陰喩、そして暗示的看過法を好む。 そして、書くことをしないこと。これは修辞法では、沈黙と言う名の黙説法とも言う。 一つ目の柱の対象や立ち位置を明確にするのは、簡単である。 この楽天の戦史編纂室の場においては、「テーマ」を選択。 『眠らない大陸クロノス』について語る意思表示をして、大陸を知らない人には向けていないことを明示する。 これで、特定の言葉が通じる関係性を確保できる。 特に自分がいるのは「ハードチャッター」の坩堝、「ラピス第3サーバー」だ。大陸の中でも独特の世界と言われる場所である。 そこで、戦史自体の表題に「ら組三番町」と明記し、他の世界とは若干事情が違う場所での話しであると、関係性を幾許か狭くしている。 そして、公式政府の公認戦史編纂作家として、ファンサイトへの登録。利用規約を遵守し、それを逸脱することはないと言う契約行為である。 自分自身の戦史編纂における立ち位置の明示となっている。 たとえ、言葉が電子の大海に放たれ、不特定多数が見る可能性を有していても、これらの関係性の枠を超えた読み手にとって、自分の言葉には意味がない。 そうした状況に自らを置いている。 二つ目の柱である修辞法、レトリックの多用。 ストーリーテラーとしての才能がないと自覚すればこそなのだが、これが物書きとしての自分に残された唯一の矜持である。 毒吐きの聖騎士に憧れるのも、同時に、腹が立つのも、このストーリーテラーの才だけは、どんなにあがいても手に入らないが故だ。 皮肉なことに、神様に愛された者はそれに気付かないことが往々にしてあり、神様に愛されなかった者は、与えられなかった物を求めて汲々と生きるしかない。 言霊遣いとしての才に欠けていればこそ、この修辞法だけは必死で学んだ。 言葉が意に反した余計な力を持たないよう、自ら制御する方法が修辞法とも言える。 例えば、表題として自分はよくある作品のタイトルをもじる。その作品の持つテーゼや世界観をして、言葉を発するという認知意味論的修辞だ。 また、特定の冒険者の名前と言う固有名詞も使わずに、隠喩をもって記す。 自分の伝えたいと思ったことが、伝えたい相手にだけ伝わればいい。 実にわがままな発想だが、それが根幹にある。 以前に「たちの悪い篩」と呼ばれたこともあるが、修辞法は確かに読み手を篩い落とす言葉の落とし穴だ。 しかし、篩い落とした相手を篩い落とされたことで傷つけることはあっても、言葉そのものが読み手を傷つけることは、ある程度は回避できる。 そして、三つ目の柱である沈黙と言う名の黙説法。 大陸で身近にいて自分を知っている人はお気づきだろうが、自分は本来とても短気だ。 すぐに何かに反応し、その場で言い返す。しかし、ひどい怒りや哀しみに包まれると、突然無言になる。 感情に支配されている時、冷静な判断など出来やしない。そんな中でまともな言葉が出せるはずがない。 勝手な思い込みや決め付けを背景にした言葉を出すこと。それこそが何よりも人を傷つける。 過去にこの大陸で、とある戦史編纂作家に言葉の刃を突きつけられたことがある。そのことについて自分は沈黙を守り、一切の経過を出さなかった。 今でも突きつけられた刃はデスクトップのど真ん中に置いてある。言葉がどれだけ人を傷つけるものか、決して忘れないために。 これに比べれば、毒吐きの毒なんざ、屁でもねぇ、と。 大陸では日々たくさんの言葉が行き交う。この楽天の戦史編纂の場においても、それ以外の場でも。 言葉の力を信じたら、最後まで信じてみる。 それが一度言霊遣いの道を選んでしまった者の十字架に違いない。もちろん、そこに張り付けるのは茨の杭だ。 まぁ、今を楽しむ他にないわけだ。