★突然死はほんとうに突然だったのか!?★
『人間が文明を進展させてきたことによって生じた歪みが音を立てて軋み、その軋んだ音に気がついた人達が動き始めているのだと思う。』(表の体育 裏の体育 甲野善紀著より引用)この間、我ながら自分で自分が何をやってるんだろう?と思うときがあったんですが(笑)、最近ようやくその意味することが分かってきた、というか、経験が繋がってきて、統合されました。ちなみに、この間というのは、そうですねー、ここ7年ほどのことでしょうか。ちょうど阪神大震災を経験したあとぐらいからのことです。(といってもあの時私自身はなぜか香港にいたのですが…。)なにが統合されたかといいますと、上記引用をした本で言うところの、「裏の体育」がずっと気になってたんだねー、ということだったんです。詳しくは、神田昌典氏も解説文を書かれている、甲野氏の上記文献を読んでもらったらお分かりいただけると思いますが、私の今やっている事業も、現代文明にできちゃった歪み、軋みを正す、バランスを取りなおす、という壮大なミッションだと気付いた次第です。そういう意味では、健康という切り口がベースになりながらも、「生き方」とか「精神性」という領域まで入っていかざるを得ないんです。なぜなら、現代の歪み、軋みはここ五十年、六十年という非常に短期間の我々の行動、敢えて簡潔に言うとすれば、経済効率至上主義が生み出した結果だからです。「自分の会社だけが成長、発展すればよい。」「自社が発展するならば、環境に悪影響がでてもやむを得ない」のような考えは、実際これまでの主流の流れ、いわば表の体育、なんですが、これはもはや通用しないでしょう。おそらくは大いなるしっぺ返しを受けることになると思います。またこんなお話もあります。『癌がなくなれば、次は精神病の時代だ。』(同書より引用)これは、かりに癌を表の体育、つまり現代医学で(無理やりに)治したとしても、その根本原因となった矛盾は、頭に上って精神病にならざるをえない、と甲野氏は言っているのです。要するに、冒頭の突然死でよく言われる、「半年前まではあんなに元気だったのに…」というのは、可能性としては、不調を身体の奥へ潜めていただけで、表の体育による症状の抑え込み(=生命力の低下)というものこそが、突然死を生み出す一つの要因ともいえると思うのです。つまりは、生命力という根幹を押えていかないと、もぐらたたきゲームになっちゃうんですね。今日はかなり難しいですね。失礼致しました。(笑)にも関わらず、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。