【南米旅日記】ペルーは、大統領選挙の真最中だった!
「KEIKO」は、2011年ぺルー大統領選挙出馬 2006年にペルーの総選挙に出馬したケイコ・フジモリは、 元大統領の娘という圧倒的な知名度を背景に、 ひとつの選挙区としては過去最大の個人得票となる60万票あまりを集めて当選。 国会議員となった。 この選挙で父アルベルトが率いる「未来同盟(Alianza por el Futuro)」は 共和国議会の院内会派で第4党となり、ケイコはその主要メンバーとして活動した。 2009年にアルベルトが有罪となり禁固25年の判決が下ると、 分裂していたフジモリ派の議員を糾合する政党フエルサ2011(Fuerza 2011)を立ち上げ、 ケイコ自身はその党首となった。 新党結成後 「2011年の大統領選挙が真の意味で父の有罪・無罪を決める場になる」と発言し、 2011年の大統領選挙への出馬を強く示唆した。 2006年に国会議員に当選して以来、 ケイコの支持率は20%程度を常に維持しており、 はやくから有力な次期大統領候補の一人と目されていた。 ケイコ支持の背景には、 80年代のハイパーインフレを押さえ込んでペルー経済を立て直し、 麻薬組織および左翼ゲリラによる国内の混乱を沈静化させ、 貧困層への富の再分配を行った父アルベルトへの賞賛がある。 そのため大統領選挙への立候補表明後は、 服役中の父の功績を強調する戦術をとってきた。 さらに当選すれば父親の恩赦を行うと公言することで、 父アルベルトの支持者が多い貧困層から支持を得ることに成功した。 しかし一方でペルー国内では、 政権末期には 強権的・独裁的な振る舞いが大きかったアルベルトへの反発も強固に存在している。 たとえばノーベル賞作家バルガス・リョサは、 「罪に問われ、収監されている独裁者の娘が当選したら国の破局だ。阻止するために、あらゆる手段をとる」 と発言しているほか、 「父親の恩赦以外に目立った政策がない」といった批判が、 従来のペルー政治を支配してきた富裕層・保守層を中心に展開されている。 父アルベルトの毀誉褒貶あい半ばする評価がそのまま、 ケイコへの期待と反発に直結している格好だ。 こうした情勢の中2011年4月10日に実施された大統領選挙で、 ケイコ・フジモリは344万票あまりを獲得して2位となった。 ペルーの大統領選挙では過半数を獲得する候補者がいない場合、 上位2名による決選投票が行われる。 そのため得票数で1位となった、 左派で元陸軍中佐のオジャンタ・ウマラとの決選投票に進んだ。 また、 同日行われた総選挙でケイコ率いる「フエルサ2011」は共和国議会の会派として第2党に躍進した。 2011年 ペルー共和国大統領選挙(第一回投票結果) 順位 候補者名 所属政党(政党連合) 得票数(得票率) 1 オジャンタ・ウマラ Gana Peru 4,643,064(31.699%) 2 ケイコ・フジモリ Fuerza 2011 3,449,562(23.551%) 3 ペドロ・パブロ・クチンスキー Alianza por el Gran Cambio 2,711,332(18.511%) 4 アレハンドロ・トレド Peru Posible 2,289,540(15.631%) 5 ルイス・カスタニェーダ Alianza Solidaridad Nacional 1,440,242(9.833%) 決選投票は第一回選挙で3位以下になった主要候補の票の取り込みが焦点となった。 ウマラは2006年の大統領選挙でも第一回投票で1位になりながら、決選投票で敗れている。 ウマラは当時からベネズエラの大統領ウゴ・チャベスと盟友関係にあり、 天然資源の国有化や政治腐敗の一掃、教育の無料化、憲法改正、 メディア規制など極左的な政策を強く打ち出すことで貧困層の票の取り込みに成功していた。 そのためウマラに危機感を持った対抗陣営が決選投票ではそろって反対に回り、 結果第一回投票で2位だったアラン・ガルシアが勝って大統領になった経緯がある。 しかし 2011年の大統領選挙では ウマラとチャベスの盟友関係は保たれているものの、 懸念されていた天然資源の国有化などの急進的な主張は口にしなくなり、 鉱山企業への課税強化や、 国内で産出される天然ガスの国内価格引き下げなどの穏健な政策へとシフトしている。 2000年以降のペルーは 豊富な埋蔵資源とその値上がりを背景に毎年6%以上の経済成長を維持しており、 新興成長国の仲間入りを果たしつつある。 この成長に伴って貧困問題は徐々に改善されつつある一方、 富裕層と貧困層の所得格差が拡大している側面もある。 特に所得格差への不満は貧困層に根強く存在し、 これがウマラやフジモリが躍進する要因のひとつとなった。 しかし、 ウマラが大統領になれば好調な経済を推進してきた経済政策が転換され 「ペルーがベネズエラ化する」との警戒は経済界を中心に根強く存在している。 こうした状況の中、 第一回投票で4位となったトレド元大統領は、 古くからアルベルト・フジモリの政敵であったこともあり、 早々にウマラ支持を表明した。 3位で元首相のクチンスキーと、 5位で元リマ市長のカスタニェーダは中道右派で、 政策的には 左派のウマラより市場開放路線の継承を訴えるフジモリに近い。 この2候補が積極的にフジモリ支持に回るための条件として言及した問題が、 父アルベルトを恩赦することの是非だった。 こうしてフジモリは父アルベルトを支持する層を納得させながら、 「恩赦が実行されれば若いケイコに対してアルベルトが政治的影響力を行使するのではないか」 と警戒している保守層や中間層の支持を得なければならない難しい立場に追い込まれた。 結局、 第一回投票が近づく3月上旬頃から父の恩赦についてほとんど言及しなくなったフジモリは、 第一回投票を経て、 決選投票を前にした4月18日には ついに「神に誓って父の赦免はしない」と明言するに至った。 大統領選挙の決選投票は6月5日。 それで・・・あんな行動が納得ポチっとよろしこ→