朝陽に、思慕の念溢れ・・・。
いつまでも眠り続けたいと、睡眠に対してまで貪欲になっている。お薬のお陰ではあるが、日曜と月曜は充分に眠れた。今日は凡そ10時間半睡眠であったと思う。普通の人なら24時間位眠ってしまうような強いお薬を服用しているのであるが・・・。でもこれ位たっぷり眠れたら万々歳である。『食べる事』に惑わされないで済むし、飲み物も何も摂取せずにいられる。月曜日は可燃ゴミの日である。私はいつも眠る前にゴミ捨て場へと向かう。日毎に、夜中の過食嘔吐が朝方へとずれ込む様になり、ゴミを捨てに行く頃には朝陽が昇り始めている。夕陽も美しいが朝陽も綺麗である。色は似ているようで微妙に異なっている。朝陽は、1日の始まりを示すような力強さを讃えている。美麗な朝陽は、一瞬夕暮れ時と見紛う様な雰囲気を醸し出しているが、全てを包括してくれるような温かさを感じる。どんどんと明るくなる景色を見ていて、飽く事はない。朝陽を見て眠るというのは、物凄く体内時計を狂わせているのかも知れないが、何故か朝陽の力強さに負けて、昼の猛々しい太陽に身を焦がされ、病気の症状に走るよりはマシである。だから私は、ずっと眠っていたい。朝も昼も夜も、ずっとである。目覚めている時間は常に、『過食衝動』から逃げ回ったり無駄な抵抗をしたりしている。考えてみれば、何も食べ物を摂取していないのであるから『食べたい』と言う感情は当たり前である。また、身体が飢餓状態なのであるから『沢山、沢山食べたい』と言う欲求も至極当然のものであると言える。起きている間、いつもこうして病気の症状に惑わされている。『そんなに我慢しないで、食べたら楽になれるよ』と言う囁きさえ聞こえてくる。そして私はその甘い言葉に囁きに誘われ、気が付けば黙々と食べ物を口にしている。地獄の過食嘔吐。スタートしたら、胃が空っぽになるまで止まらない。そして後片付けを完璧にすれば、やっとゴールを迎える。独りで、只管食べ物を食べていく様は異様であろう。病気の症状なのであるから仕方ないとも感じる。けれども、本当に苦しい作業である。全て放棄して逃げ出しても構わないと思える程に。そんな時、主治医が仰った言葉が頭に浮かぶ。「1人でメソメソしなくて良いんだよ。」・・・優しく温かく響いた言葉であった。涙を流す代わりに、私は過食して嘔吐をしているという感じを覚えている。主治医の言わんとすることは、大まかではあるが伝わる。上記の言葉の中に、『怒りたい時は怒って良いんだ』『情けないのではなく、哀しくて悔しいんだ』『あなたは1人ではないんだ』と言う意味も含まれている。勿論、主治医はこんな優しい言葉だけでなく、時に凄く厳しい事も仰る。勿論ちゃんとしたフォローもしながらであるが。その優しさと厳しさの使い分けが流石プロであると感じられる。話は変わって。お盆であるので、明日は祖父母の家へ行く。久し振りに会えてるのでとても楽しみであるし、嬉しい。妹と姪、弟も行くようになっている。家族全員が集まるのは、本当に久し振りである・・・。祖母の美味しい料理が待っていることは、嬉しくもありちょっと困ってしまう事でもある。久し振りにあってまで過食をする姿を見せたくは無い。だからその場では会話を楽しみながら飲み物を飲み、食べたくなったらキッチンで煙草を吸う。皆が食事をしている時はそうやって時間を潰そうと思う。前回その作戦で成功したので、食べずに済むかも知れない。今日の朝、会えるのが楽しみで祖父が写っている携帯の画像を見て、何故だか涙が出てしまった。やはり美化された想い出が、優しく熱く身体中に染み渡った為に涙が出たのであろうか・・・。今、独りぼっちだと感じていても、必ず見守ってくれている人は居ると信じたい。1人でメソメソ泣いていたら、背中を撫でてくれる母の愛は本物だと信じたい。そうして心の中身を、ゆっくりなだらかにしていきたい。