雨降る音が、忍び寄る。
自分の中には、いつも相反した想いを抱く私が居る。特に朝、服薬後「このまま眠りたい」と願う自分と「起きて本でも読みながら何か食べたい」とおぼろげに想う自分が存在する。心身は疲れているのだから、本当はお蒲団に身体を沈めて眠りたい。けれども、私はおもむろに起き上がり、自室へ入って読書を始める事の方が圧倒的に多い。私の中では、もう「何か食べたら全て吐かねばならない」という考えが定着して久しい。常に胃が空っぽの状態でなければ、気分が悪い。美味しいものを食べて「お腹がいっぱいで幸せだな」と感じていたのは小学生までの事で今はもう、その感覚を想い出せない。お腹がいっぱいになると、不快感が襲ってきて「早くこの身体から全てを出したい。 そうしなければ太ってしまう」という恐怖にも似た想いばかりになる。食べる事を避けるために、私は煙草を吸い始めた。24歳になって、初めて煙草を吸った。最初は、葉巻に対して興味を持ち、専門店で安い葉巻を色々試していたが、そのうち、フレーバー煙草たるものを試して、結局、ラッキーストライクやマルボロといった普通の煙草に落ち着いた。煙草を吸うと、食欲が失せる。意識も少しぼんやりとしてまた、時間も潰せる。身体に物凄く悪いという事は十二分に承知しているが止める気はない。先日購入した本を、1冊読み終わってしまった。久し振りに、ハードカバーの作品を買った。貴志祐介の『狐火の家』である。この作家さんの作品は大好きなのでじっくり読もうと想っていたが、長編ものではなかったのでいつもかける時間の半分くらいで読み終わり少し残念だった。文庫本を選ぶ際、先ず作家さんの名前を優先するが、その次は“本の厚さ”である。長く長くその作品を楽しみたいので、上・中・下巻に分かれているものだとなお嬉しい。ただ、私は何故か時代物だけは読めない。宮部みゆきの本は大体持っているけれど、時代物は1冊も持っていない。本当は、好き嫌いなく本が読めたらもっと自分のこころの幅が広がるだろうと考えるけれど、どうも受け付けないのである。不思議だと感じる。4月7日は、大学時代からの親友の誕生日である。卒業してからもう何年も会っていない。飛行機だと、その県まで直通便がある。時間も私にはたっぷりあるけれど、病気を抱えていると身体が動かない。彼女と、一晩中色々話しながら飲み明かしたいといつもいつも想う。いつか、叶うと良いなと願う。゚☆,。・:*:・゚★゚☆,。・:*:・゚★゚☆,。・:*:・゚★K、お誕生日おめでとう。いつか絶対、一緒にお酒を飲みながら色々語り合おうね。゚☆,。・:*:・゚★゚☆,。・:*:・゚★゚☆,。・:*:・゚★