ただ、荒んでいくだけ。
とうとう9月はブログの更新が1度だけとなった。毎日、長文綴っていたあのバイタリティは何だったのだろうか、何処に行ったのだろうかと不思議に想う。神無月。もう秋真っ只中で朝晩は寒気を覚える。でもそれが何だか心地よい。現在は、ぽつりぽつりと浮かんでは消える言葉をメモ帳に書き殴ってみたり、そのまま忘却の彼方へ追いやったりとなるべく無理をしないように過ごしている。無理をしたくても、出来なくなったというのが正直なところかも知れない。3歳の頃から、私はこころを患っていて摂食障害の症状が現れてから、13年の時が流れた。他にも心身問わず様々な病を患っている。特に摂食障害に関しては、“治す”ものではないと主治医と話し合いの中で探り当てた答えでもある。“治る”ように、治療でもある主治医の診察を受けたり、自分でも何かを考えたりきちんとお薬を服用したりする事が大切なのである。その為には、精神的にも身体的にも今まで無理をしてきた分、ゆっくりと静養する事が重要になってくる。しかし、祖父が5月末に脳卒中で倒れてからは、次から次へと身内にも自分自身にも辛苦が訪れて、気が休まる暇などなかった。私の身内は皆、未だにずっと緊張が続いていると感じる。時間を経る毎に降りかかってきた問題が大きくなっているものもある。それは、弟に関するものである。今、私は弟を信用する想いを持てなくなっている。母からお金をもらう時だけ、弟は連絡が取れて登場する。それ以外は、どんなに携帯電話を鳴らしても、メールを送っても、全く繋がらない。連絡の取りようがない。弟に関しての問題は、本当に気落ちした。嘘に嘘を重ねて大変な事になっている。だから私は、死ななくてはならないと想った。私が死んだら、保険金がおりる。そのお金で母も楽になるだろう。家族で分けてもらっても良い。私という迷惑をかけ続ける邪魔者さえいなくなればいい。そういう考えが、此処のところずっと全身を支配している。一瞬の痛みさえ我慢すれば、3歳の頃から癒えることなく重なってきた病にその症状に、今後苦しむ事はなくなるのだから。そう想うと、不思議と気分が楽になる。手元には、自殺できるであろう量のお薬はあるけれど、向精神薬で自死できる確率は低い。失敗したら、ICUに入院という事になり、その医療費でまた迷惑をかけることになる。それだけは、避けねばならないからもしも、決意できたら方法は決めてある。PTSDのフラッシュバックや、解離。強迫性障害による日々の暮らし難さ。摂食障害で蝕まれていく身体とこころ。うつ病も酷くなり、余程調子が良い時でないとこうしてネットにも繋げない。本を読めない日もある。睡眠障害でその日によってお薬を調整しなければならない事。その他諸々の病気の症状。1週間ほど前からは、歯痛も加わっている。外出するのも困難だから、歯科に行けない。すべての物事に関して無関心。無気力で、何もできない自分を憎み苛立ち、自傷する気力さえない毎日が、過ぎていく。ただ、それだけ。私は、この世から離れられる日を心待ちにしている。10月4日は、姪っ子の運動会がある。最近の幼稚園は、セキュリティも厳しく入る為に証明書が必要だという。姪っ子の、初めての運動会なのでデジカメの準備もして勿論私も申し込んだ。母も、お仕事を休んで行く予定である。お弁当作りも念が入っていて、今晩から下拵えの為に、母は妹の家に行っている。また、明日の朝はお弁当仕上げの為に早くから家を出る。久し振りに太陽の光を浴びながら姪っ子が「私ね、走るの速いんよ!男の子よりも!一番なんよ!」と言っていた事を想い出しつつ、精一杯応援したい。特別な日くらい、無理が出来る事を願いつつ。