三日月に寄り添う星を想う・・・。
毎日、上水道・下水道工事が家の真横で施工されているので物凄い騒音で熟睡できない。何度も断眠してしまう。それと言うのも昼夜逆転の生活をしている自分が悪いと解ってはいるのであるが、地響きの様な騒音は耐えられない。しかし今日は電話診察の日であったので、断眠しても良かったが・・・。今日は何故かネット環境の調子もおかしく、他のサイトにアクセスする度に落ちてしまって接続できなくなる。ADSLなので本体のコンセントを抜いてまた差すといった行動を繰り返している。暑いのも相俟って苛々が止まらない。下手をすれば綴った文字も消えてしまうので用心せねばならない。今日の電話診察では、いつもの様に『千と○尋の神隠し』になぞらえ、過食嘔吐をするのは顔なしであり、どうしたら良いのか対処方法も色々と考えられる。しかし、この日毎に増していく 『痩せなくては、もっともっと・・・』という『痩せ願望』についてはあまり話を深めてこなかった。そして話している内に、この『痩せ願望は』登場人物で言う所の『ハク』であろうと言う事に気付いた。命を擲ってまで、湯婆の命令に従う。使い物にならなくなったら棄てられるのを覚悟で。私も、これ以上痩せが高じたら命の危険もあり得る。しかし日を追う毎に「もっと痩せねばならない」と自分の身体を見て思う。比べる人がいないので、どんどん認知が歪んでいっているのであろう。また、人が痩せているとか太っているとか殆ど気にならないのに、自分が膨張している様な気がする。だから痩せたいと思うのである。しかし極端に細い人を見ると、この人は元々細いのかそれとも自分と同じ病気なのかと疑う自分がいる事は確かである。私は自分がまだまだ太いと感じる。お腹や太腿、二の腕等・・・。そして過食嘔吐をする為に顔も浮腫んでしまい、鏡を見ると溜息が出る・・・。閑話休題。『ハク』は『千尋』の手によって救われた。私にとっての『千尋』は、母である。まだまだ母との距離があると感じる。それでは手を借りる事も出来ない。過食衝動に襲われ、寂しい気持ちを抱えながら過食嘔吐をするのが、『顔なし』で「痩せ願望」を増加させるのは『ハク』なのである。 そして『ハク』と共通しているのは、名前を奪われている事であろう。3歳の頃から私は『姉ちゃん』であり、名を呼ばれなかった。今や姪にさえ『姉ちゃん』と呼ばれていて、名は体を表す様に私は『お姉ちゃん』と言う役割で生きてきた。両親が離婚した後などは兎に角、幼い妹と弟の面倒を見なければならなかったし母親的役割もこなしていた。そして自分と言うものが無かった。段々見失っていった。目の前にやらねばならない事が山積になり、言う事を聞かない妹と弟。私は一体何なのか、益々見失った。そこで浮かんでくるのは、「自分とは一体何なんだろう?」と言う疑問である。分からない。幾ら考えても分からない。此処にある私は、あらゆる病気に侵された自分のみ。病気の私こそが自分なのであろうか・・・。人それぞれの心の中に、『顔なし』がいて、『ハク』がいて、『千尋』がいて、『湯婆』がいて、あの『大きな赤ちゃん』がいる。どの部分が突出して現れているかによって『病気の症状』や『役割』が出来るのであろう。今の所、私の痩せ願望は『ハク』が突出している状態だと感じられる。しかしその『ハク』を如何にして宥めるか、未だ以って全く分からない。『ハク』が暴れる限りは『顔なし』も暴れる。摂食障害とは何と厄介なものであろうか。心の病気と密接に関わっているのは自然である。私は嗅覚が敏感なので、春になれば沈丁花の花が咲いた事を感じ喜び、やがて蜜柑の花の香りに包まれて、秋には金木犀の香りに癒される。昨日、今年初めて見つけたトンボも私にとってはとても嬉しい発見であった。稲が伸びていき、田んぼが緑の絨毯になっていくのも美しい。其処で私の主治医は、私の事を「あなたは水仙のようだね」と言った。勿論水仙も、香り高く可憐な花を咲かせる。しかし家の植え込みに植えてあったのであるが、工事の為に球根からごっそり抜かれてしまい、かなりのショックを受けた。唯、その水仙に例えた訳には意味がある。「水仙は綺麗な花を咲かせ馨しい芳香を放つけれど、あれ、毒があるんだよね。食べたら毒になる。まるであなたのようだよ」 と笑いながら主治医は言った。水仙の様に精錬で綺麗ではないが確かに「私を食べたら毒になるなぁ」と納得した。今日も『顔なし』が寂しいと呟いている。心細い、哀しいと。だから過食嘔吐してしまうのは余りにも強引な考えかも知れないが、摂食障害の人には解り安いのではないであろうか。生きていく事は本当に苦しいものである。