時計の叩きあい
学生名物というよりアマ碁界(ただしある程度上層部)の名物の一つが「時計の叩きあい」である。昨日も何局もお目にかかった。私が昨日当たったプロ級の「彼」でさえ、最終局では叩き合いを演じていた。学生・アマの囲碁の大会は全国決勝とかでなければ多くが切れ負け制である(世界アマ戦など決勝でも切れ負け)が、対局者は中盤までに時間を大半使ってしまい、最後のヨセになるともう考えている間もなく反射神経で石を置きすぐさま時計を押しすぐさま碁石を取るというのは上位者の対局では常態化している。主催者としても、秒読みではタイムスケジュールがどうずれるか分からないし、アナログ時計がアマ手合時計の主流である現在は人手もかかるということで、この状況はいかんともしがたいようだ。見ていてハラハラするし、盤上の石はどんどん崩れていく。優勢だった碁をたたき合いの最中に大石を殺されて敗れたり、相手が少々打つのに手間取っている間に二手打ちをしでかしてしまう者が出るなど、傍から見ている分にはなかなかのドラマである。では当の対局者はどうなのか。私は比較的早打ちだしそんなに上位でもないが、これまで2回ほど時計のたたき合いを経験している。(ちなみに自分ひとりで時計を叩き続けるのも1回経験している)はっきり言って心臓に悪い。慣れている人はまだいいのかもしれないがいつ切れるか分からないままに形勢もよくわからない対局を続けるのは地獄である。特に学生連盟では予算不足かアナログの手合時計を使用することが大半であって(アナログは8000円、デジタルは10000円だったと思う)、残り時間がはっきりとわからないために余計に心臓に負担がかかる。結局、叩き合いになった碁は2局とも細かくひっくり返されてしまった。私が高校の頃、あまりの時計の叩き合いの凄まじさに業を煮やしたのか、私の行っていた地区の高校連盟の方でベスト8以上に10秒の秒読みが導入されたが、そのときの説明に「見苦しいので…」等と紙に書いてあった記憶がある。また、大会などでは5分くらい時間を余しておくのが得策だなどと書いてある本も見たことがある。確かに、局面より時計を気にしなければならず、盤面も崩れる時計の叩き合いはあんまりほめられた現象ではないかもしれない。しかし、彼らはそれだけ勝つために真剣に考えているし、またそうでない限り勝てないのは、現実として受け止めるべきである。これと関連した「切らし行為」について、切れないために残しておくべきで残しておかない愚かさがあるなどと言う某大学の長老OBの指摘もあったが、あまりに現実を無視した意見であって到底採用できるものではない。それに、このルールでなきゃダメ、このルールで参加したくなきゃしなくてもいいよ、というようなアマ棋戦はアマ棋戦の持つ公益性をも壊してしまうだろう。勝つために真剣に考える行動がもたらす弊害の解決に最大限に勤めることは、アマ諸棋戦が真のアマ強者を選んでいるという意味での権威を保持する意味でも重要だし、またそういう姿勢があればこそ、プロアマのオープン化にも資するはずである。まず、時計をできる範囲でデジタル化し(デジタル時計がアナログに混じって使われていたりするので、対局数が少なくなったらデジタルを優先するなど)、残り時間を秒まではっきり明示した上で、特にその日の最終局については秒読みの可能性を残すなど、可能な限り時間でケリがついてしまうという悲劇を減らす方策を採ってもらいたいものである。