自分勝手な刑事弁護人観を振り回さないために
この際、「刑事弁護人の真実義務」についてhide-w氏のような大恥言説を吐かないようにするために、参考資料を提示すると致しましょう。 あえてカテゴリをこちらに振り分けたのにも、個人的には意図のあるところなのですが、あえて現在は提示しません。 はじめに、hide-w氏について少々。一般的な読者は「さて、刑事弁護人の」まで飛ばして下さって結構です。>弁護士とは「被告人に対する誠実義務」と「公的な役割である真実義務」の相克に苦悩する人間像である。 これ、原典はtwitterで知り合った人からもらった(twitterの文章だったと間違って書いたのは撤回します)「資料」ってなんだ?提示していないから、下のような勘ぐりを受けることになります。(苦笑)「ある有名な学者」の論考で駄目ってことは、ただの「もらった資料」なんて、意味不明ですね。 ちなみに、私個人に言わせれば、その読みは、hide-w氏の誤解に基づく可能性が極めて高いといえます。平たく言えば、誤解を盾に振り回す…全くのトホホ論法と言うしかないでしょう。 これをTBする強がりには敬意を表しますが(苦笑)。 ちなみに、そういう内心的相剋があることを認めつつも、そんなものを表に出さずに仕事をするのが、弁護士のお仕事だろうというのが、私のその文章の読み方です。 現実に、苦悩の結果かどうか知りませんが、無罪判決を勝ち取った被告人について有罪心証を持っているとあちこちに書き連ね、懲戒処分を食らった弁護士だって存在しているのです。(証拠はこれ) さて、刑事弁護人の義務として、弁護人の真実義務に関する記述を、そのまんま写し取るとしましょう。 写し取る相手は、司法研修所で使っている刑事弁護の実務テキスト、「平成18年版刑事弁護実務」。最近はこの手の書籍も市販されるようになってきています。 この書籍は、歴代の司法研修所刑事弁護教官が練り上げて来たもので、権威的にはこれ以上疑いようもありません。編集者の中には、大野正男氏・深澤武久氏のように最高裁判事を務めた方もいます。最近有名な方としては、「行列のできる法律相談所」の菊地幸夫弁護士なども改訂に参加しています。大野氏こそ、かの「楕円の論理」の著者でもあります。過去に私なりに「楕円の論理」の原典を読んだ際の解説記事もありますので、こちらからどうぞ。大野先生の論理は、被告人の弁護を強くさせるための楕円の論理でもあると言うことを忘れて楕円の論理を振り回しているようでは、我田引水のそしりを免れません。 これで駄目だ、と言うのであれば、それは各人各人なりの弁護人倫理観と言うことになるでしょう。もちろんそれだけでは、悪いという気にはなりませんが。 さて書き記しましょう。同書P66、弁護人の真実義務より。(法は刑事訴訟法のこと、規程とは弁護士職務基本規程のこと) 「刑事事件において、刑罰を科す根拠となる事実の内容である「事案の真相(刑事訴訟法1条)を裁判所に対して明らかにする義務は、もっぱら検察官にあり、被告人や弁護人にはない。被疑者・被告人に真実義務が存在しないことは、黙秘権が保障されていることから明白である。被告人に対して誠実義務を負う弁護人としては、被告人に不利な事実につき被告人の意思に反して明らかにする義務はないと言うべきである。職務規程5条は、弁護士は、真実を尊重し…と規定するが、同条の解釈運用にあたっては、「刑事弁護においては、被疑者及び被告人の防御権並びに弁護人の弁護権を侵害することのないように留意しなければならない」とされ(職務規程82条1項),弁護人にいわゆる積極的真実義務がないことを明らかにしている。 このように弁護人による真相解明は、被告人の免責、刑の軽減の方向に限られる。弁護人は検察官の立証が尽くされていないことを指摘し、あるいは被告人に有利な事実の存在を明らかにする限度で真実発見に寄与するものである。 他方において、弁護人と言えども裁判所・検察官による真実の発見を積極的に妨害し、あるいは積極的に真実をゆがめる行為をしてはならない。(いわゆる消極的真実義務)。職務規程75条も、「弁護士は、偽証もしくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない」と規定し、このことを明らかにしている。 なお、誠実義務とは弁護士法1条2項や弁護士職務規程5条や46条から導かれる、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行う必要があり、ひとたび受任すればその権利利益の擁護のために最善の努力を傾注しなければいけません。 職務規程46条には、もろに「(刑事弁護の心構え)弁護士は、被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める。」と書いてありますしね。 この上で、無罪事件の有罪弁論について「無罪を主張しながら有罪を告白する場合」においては無罪主張して良いというのが実務の一般的見解である旨が記載されています。 もっとも、いくつかの問題として一、偽証すると分かっている被告人や証人を証言台に立たせることが妥当か二、真実だと分かっている証言の信ぴょう性を減殺するために反対尋問をすることが妥当か三、被告人に教えると偽証を誘導する恐れがあるような助言をすることが妥当か(英米法と日本法のずれからくる問題でもありますが) と言う点から、具体的判断にゆだねざるを得ない部分がある点を指摘しています。しかし、これも「有罪を告白」という極端な事例であることには留意すべきでしょう。 では、「ウソ臭いけど本人が本当だと言っていること」を言いだしたらどうなるか。これについては、ぴったりの例があるので東京弁護士会綱紀委員会の判断をそのまま利用するといたしましょう。 刑事被告人には資格を有する弁護人を依頼する権利があり(憲法37条3項),いかに多くの国民から,あるいは社会全体から指弾されている被告人であっても,その主張を十分に聴き入れた上で弁護活動をおこなう弁護人が必要であり,弁護人には,被告人の基本的人権を擁護する責務がある。被告人の主張や弁解が仮に一見不可解なものであったとしても,被告人がその主張を維持する限り,それを無視したり,あるいは奇怪であるなどと非難したりすることは許されないし,被告人が殺意を争っている場合においては,弁護人が被告人の意見に反する弁論をおこなうことは,弁護士の職責・倫理に反するものであり,厳に慎まなければならないのである。 被告人の弁明を誠実に受け止めて,これを法的主張としておこなうことは弁護人の正当な弁護活動であり,仮にこれによって関係者の感情が傷つけられ,精神的苦痛を与えられたとしても,ことさらその結果を企図したものでない限り,その正当性が否定されるものではない。以上のことは,憲法と刑事訴訟法にもとづく刑事裁判制度から必然的に導かれるものである。 平成19年11月28日、東京弁護士会綱紀委員会の決定からそのまま抜粋しました。 つまり、少なくとも被告人が否認している限りにおいて、その通りに主張することは、公的義務を仮に考慮に入れたとしても弁護士の倫理に反することはさらさらない、むしろ憲法や刑事訴訟法上当たり前のこととして、システムに組み込まれている(=勝手に離脱すればシステムが逆に狂う)と考えられている訳ですね。それがたとえ被害者や遺族を傷つけたとしても、ことさらそれを目的としているような場合でない限り同様、というわけです。弁護士ブログなど私はあちこち見ていたりするのですが、この点について異議を唱える見解は見当たりません(むしろ、無視したら弁護士会に懲戒処分されるよという記載は多く見ました)でした。実際、貝塚ビニールハウス殺人事件という少年事件の有名な冤罪事件では、控訴審の弁護人がこれをやって処分を食らっています。 もちろんこれは弁護士倫理に関する最終判断ですから、最高裁が何を言おうが遠吠えでしかありません。 逆に、弁護人の上記のような真実義務から、あるいは真実義務否定説の学者その他であっても、偽証教唆×、証拠隠滅×というような基本路線は全く異議を見ていません。 といっても、裁判所の権威があると違う方もいるようなので、今度は東京地裁昭和38年11月28日の裁判例からも引用いたしましょう。 厳密に言うと弁護人が控訴を事実上握りつぶした事例であるということには留意すべきですが、一般の事件の弁論においてこれと異なる判断をする理由はないと言えるでしょう。>そして以上の各場合における控訴理由の有無の判断にあつては、極力自己の主観的見解を避け、被告人にとつて最も有利な観点から観察、判断すべきものであることはいうまでもないところである。 なお、刑事訴訟法で一昔前なら(?)司法試験受験生のバイブルにも近い教科書を書いている故・田宮裕教授は、判例百選の旧版で、これで控訴理由がないというのは考えられないと指摘しています。一般の弁論とパラレルに考えてよいでしょう。 こうしてみれば分かる通り、弁護人の真実義務と言うものは、あるとしてもせいぜい偽証を教唆しない、証拠をねつ造しないなどと言う方向でしかないというのがほぼ公式見解です。 その理由は弁護人が被告人に有利な観点をもきちんと考慮すべきというタテマエを持つ検察官や裁判官と独立して存在する理由と直結しています。弁護人が苦しいからダメだね、と言って主張を抑えることが許されてしまうと、結局本来認められるはずだった主張を飲みこませることにつながってしまいます。 また、被告人には黙秘権=自身を危険にさらしてまで真相解明に協力する義務はないがあると言う点にも直結しているでしょう。 「10人の真犯人を逃がしても1人の無辜を罰してはならない」にもかかわらず、10人の真犯人を逃す苦痛を我慢できて、見苦しい主張は我慢できない、と言うのでは、筋が通りませんよね。 なお、弁護人の多くは、心証を作った上で、見苦しい主張を吐くことは不利になるよ、と説得をするでしょう。おそらく私もします。 ただし、下手に説得をすれば、結局被告人が本来持っていたはずの否認を飲みこんでしまうと言う例もあります。富山婦女暴行冤罪事件では、まさにそれが起こり、無実の人間が公判で否認せず、実刑判決にも控訴せずと言う事態がおこってしまっていたのです。説得は簡単ではありません。 私は一切説得しない(不利になっても、自己責任と言うことなのでしょう)と言う弁護士の先生を、私は知っています。 また、見苦しい主張を飲みこんだ「反省したフリ」で刑が軽くなるよりも、見苦しい主張まで吐かせて「反省していない」と言うのをさらけ出させて処罰した方が真実発見にも適するはずなのですが…。 もちろん、これは被告人にも言えることで、上訴や否認と言うのは、言葉悪く言えばある種のギャンブルなのです。それをギャンブルにしないのが、優れた弁護人&検察官と言えるでしょう。 これは、最低限理解しなければならないことです。自分は専門家じゃないから、という甘えは許されません。元検事の弁護士の先生のブログ記事も、参考にするとよいでしょう。 弁護団の一人だった今枝弁護士の文章も。 ・・・さて、そろそろこちらの反論も先行し過ぎたので、少し吐かせる時間を設けましょうか。